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  • 「ふるさと」はどこにあるか ――室生犀星「小景異情(その2)」を考える―― | 信時 哲郎

    「ふるさと」はどこにあるか ――室生犀星「小景異情(その2)」を考える―― 信時 哲郎 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの 小景異情(その二)が人口に膾炙されているというよりも、この冒頭の二行だけが人口に膾炙されていると言った方が正確かもしれない。これについて岡庭昇氏は「あたかも都市に流出した民によるふるさとへの追慕というようにうけとられ、感情移入されている」として、それを「誤伝」であると言いきっている。そして「犀星の作品で、ふるさとが遠くからしみじみと想い出されたりしているわけではない。(とてもじやないが)ふるさと(なんてもの)は、遠くにあって(こそ)想い得るもので、そうでなければまっぴらだ……という以外に、ほんらい解釈のしようがない作品なのである。つまり歌われているモチーフは、なによりもふるさとへの憎悪だということだ。」(1)とつづける。 萩原朔太郎は「これは年少時

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