これはおもしろいに関するkoyayasiのブックマーク (2)

  • 鳥取で核について考える - 内田樹の研究室

    水曜日はオフだけれど、毎週講演が入っている。 日は鳥取西高校。 高校生相手の講演が二週続く。 三ノ宮(JRの駅名は「ノ」が入る)から「スーパーはくと3号」で鳥取へ向かう。 「はくと」って何の意味だろうと考える。 ぜんぜん思いつかない。 みどりの窓口でもつい「スーパー北斗」と言いそうになる。 あとで調べたら「白兎」であった。 帰り道に半睡状態でいるときに、「大黒さまが来かかると・・・」というメロディが頭の中を流れて、「どうしてこんな曲が?」と思ったら、駅に着く度に「因幡の白兎」のメロディーが車中に流されていたのである。 「スーパーしろうさぎ3号」でいいじゃないか。 なんで、「はくと」なんだよお。 その「はくと3号」の行きの車中でメールをチェックしていたら、日経から「原稿まだですか」という督促メールが来ている。 げ。 月曜締め切りの書評の原稿を忘れていた。 月曜火曜と『日の論点』と司馬遼太

  • 情報を抜く - 内田樹の研究室

    クリエイティヴ・ライティングの今週の宿題は「情報を抜く」。 ものを書く上での「情報を抜く」ということの重要性を指摘した人にかの橋治先生がいる。 橋先生はこう述べておられる。 自分が生きている限り、自分の身近にはまともな生活圏があるんだから、そのことは考えなくてよくて、そこから外れたときにどう生きるかという考えをしなくちゃいけないから、外れたところにいる人のことを考えるしかないということなんじゃないのかなあ……。俺、高校のときにいっぺん外れちゃったから。 それで、自分の居場所ってどこなんだと。 知らない人のいるところで生きていくしかないから、じゃあその知らない人をとりあえず考えてということだと思うし。 あと、自分と違う人のほうがわかりやすいんですよね。 『桃尻娘』を書くときに、こっちが二十七、八じゃないですか。主人公は十五だったでしょう。 何が違うかというと、男と女が違うと考える前に、彼

    koyayasi
    koyayasi 2008/06/29
    「理解も共感も絶した他者を理解したいと望むなら、自分の予断を形成している「情報を抜く」ことが必要である」
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