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人物と中国に関するkozokaeruのブックマーク (1)

  • 田中徹雄 - Wikipedia

    田中 徹雄(たなか てつお、1918年2月22日[1] - 昭和54年(1979年)12月21日)は、日の陸軍軍人(大尉)。元山梨県副知事。 経歴[編集] 山梨県出身。上海の東亜同文書院を出て、南満州鉄道社に勤めているうちに応召となり、日中戦争に参加した。 戦後、上海連絡班として中国に残った。総連絡班長は南京にいた今井武夫少将である。昭和21年(1946年)12月に上海発の最後の引揚船に今井少将たちと乗船し、翌月日に帰国した。その直前に上海に拘束されていた嵯峨浩(満州国皇弟・溥傑夫人)・愛新覚羅嫮生母娘を救出した。 引揚後、郷里の山梨県庁に勤務し、のちに副知事まで務めた。1967年の第31回衆議院議員総選挙で山梨県から自民党公認で立候補したが落選した。1971年の山梨県知事選挙に無所属で立候補したが落選した。 人物[編集] 第35師団歩兵第220連隊に所属した幹部候補生の第5期生。日

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