1944年、満洲国新京(現:中国吉林省長春)に生まれる。父は数学者で長崎大学名誉教授の草野萬三郎、母は音楽教師。2歳の時に引き揚げ、長崎県島原市で育つ。10歳以上年の離れた兄2人と8歳年上の姉を持つ末っ子。島原市立島原第一中学校卒業後、長崎県立島原高等学校に進学。その後、長崎県立長崎西高等学校への転校、一浪を経て東京大学文学部社会学科を首席で卒業。卒業論文のテーマは「戦後沖縄における対米感の推移」[1]。 1967年、NHKに入局。報道記者志望だったにもかかわらず、アナウンサーで採用された。鹿児島、福岡、大阪、東京アナウンス室などでの勤務経歴がある。また、鹿児島局から福岡局へ転勤した頃に自律神経失調症を患い、当時を振り返って『病は気からだった』と述懐している[2]。 1985年春をもってNHKを退職。この頃「アナウンス室は報道局の指示に全て従う」と通達が発せられ、報道局の言いなりとなること