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2018年1月19日のブックマーク (6件)

  • 宇宙に比べたらちっぽけ - きょむ日記

    自己啓発書にはよくこう書いてありますね。 「自分という存在や自分の抱える悩みなど宇宙に比べたらちっぽけだ」と。 つまり、自分がどんなことをしたり考えたりしようが宇宙規模で考えたら全然たいしたことがないから、そんなに悩む必要はないということを説いているのですね。 皆さんはこの考え方についてどう思いますか? 僕は「何じゃそりゃ」って感じです。 言いたいことはわかりますし、この考え方を受け入れてクヨクヨと悩まなくなる人がいるのならそれは素晴らしいことだと思いますが、僕はどうもひねくれているのでそう単純に納得することができません。 人間は思考することができたり、感情を持つことができたりしますが、宇宙は何かを考えたり感じたりすることができるんですかね?現代の科学的な考え方からすれば宇宙にそのようなものは存在しないとするのが一般的だと思います。何も悩むことのない宇宙と比べられてもねえ……。 それに、僕

    宇宙に比べたらちっぽけ - きょむ日記
    kozokaeru
    kozokaeru 2018/01/19
    “大体ね、スケールの大きさで比べることがこの場合に有効なのかって話ですよ。僕たちは人間です。宇宙に比べればスケールで遥かに劣るでしょうが、僕たちは等身大の自分を生きています。自分にとって自分がちっぽけ
  • 自殺は悪いこと? - きょむ日記

    世論だと自殺は悪いことだとされていますが、当に悪いことなのでしょうか。悪いとしたらどのように悪いのでしょうか。「自殺してはならない」と言う人は思考停止に陥ってはいないでしょうか。死を願う人にそのようなことを言うべきなのでしょうか。彼らはそのようなことを言うことで死を願う人にどのような思いをさせているか考えているのでしょうか。いろいろと疑問が湧きますね。少し考えてみましょう。 自殺が悪いことなのかどうかを考えるためには自殺がどのように悪いのかを明らかにしなくてはなりません。自殺が悪いこととされる理由には次のようなものが挙げられるでしょう。 命を粗末にしている 人に迷惑がかかる 社会の損失になる 生きたくても生きられない人がいる 人を悲しませるから 僕が思いつくのはこれくらいです。1つ1つ考えてみましょう。 命を粗末にしている おそらく、このような主張をする方は命を尊いものだと考えているはず

    自殺は悪いこと? - きょむ日記
    kozokaeru
    kozokaeru 2018/01/19
    “僕からすれば宗教は共同幻想であって、幻想を共有する人間の間でしか意味を持たないものです。ですから、無宗教の僕に宗教的な考え方を押し付けられても困るというのが正直なところです。”
  • 『自殺容認論について』

    御坊哲のおもいつくまま アマチュア哲学者の御坊哲です。 このペンネームは私の出身地の御坊にちなんだものです。おぼっちゃま君の御坊家とは何の関係もありません。 哲学者とは言ってももちろん自称です。実はプラトンもアリストテレスも読んだことがありません。カントも全然分からんし‥‥。 時々「自殺容認論」というものを目にする。大概発言しているのは、現時点では死と自分は無縁だと思っているような若者であることが多い。(ような気がする。)次にあげるのは私がウォッチしている人のブログである。非常にシャープに頭脳を持った人で、私は勉強のためにときどき覗いているのだが‥。 ≪個人的には自殺も安楽死も容認派なので、世間的にもそういう風潮になればいいな、と密かに願っている。逆によくわからないのは、なぜ自殺防止のキャンペーンが行われているかだ。純粋に倫理的な理由なのだとすればすごい。あるいは僕にはよくわからない邪悪な

    『自殺容認論について』
    kozokaeru
    kozokaeru 2018/01/19
    “論理がニヒルな結論をもたらす場合はいつでも疑う必要があると私は考える。その理由は、私たちが決して自らニヒルを望んでいないと信じるからだ。望んでいないものが結論として導き出されるのはどこかにねつ造が潜
  • 「人生100歳時代」ただ長生きするより安楽死の方が幸せである

    kozokaeru
    kozokaeru 2018/01/19
    “くり返しますが、安楽死制度は全国民に強要するわけではなく、使いたい人だけ使えばよい制度です。消費税の増税の様に全国民に一律に課される政策ではありません。使いたくない人は無視して使わなければよいのです
  • 安楽死について - 思考の断片

    自殺に対する世間の印象は悪い。自殺は迷惑だと考える人もいれば、自殺は人のためにもよくないと考える人もいる。しかし、私は自殺が道徳的に容認される場合や、人のためになる場合もあると考える。また、それでもなお自殺が非道徳的で、非合理的な場合も多いため、これら自殺の問題点を解決するため、世に言う積極的安楽死の制度を導入すべきだと考える。 1.自殺は人にとって良い場合もある 死ぬことは人にとって悪いことだと考えられがちである。どんな死も葬式で悔やまれる。しかし、こういう世間の常識とは反して、どんな場合も生き続けたほうがいいとは限らない。臨床状態で苦に満ちた人生しか残されていない場合がそのいい例である。この例ほど極端ではないだろうが、自殺志願者について、生き続ける人生のほうが、今すぐ死ぬ人生よりも悪い可能性は原理的にありえるだけではなく、現実的にも多いのではないだろうか。 確かに、生きることは

    安楽死について - 思考の断片
    kozokaeru
    kozokaeru 2018/01/19
    私は、ここまで配慮して、かりに死にたくない人が死を選ばざるを得ないという弊害が万が一生じても、それは死にたいけれども死ねない人が多数存在する現在の弊害よりは、軽いものだと考える。
  • http://www.hikiyosech.net/entry/2016/08/19/104720

    kozokaeru
    kozokaeru 2018/01/19
    “上村(カミムラ)です。 チャンカミorヒロとよく呼ばれています。 完全に大好きな活動として”