ひかりごけ事件(ひかりごけ じけん)は、1944年(昭和19年)5月に日本の北海道目梨郡羅臼町で発覚した死体損壊事件である。日本陸軍の徴用船(cf. 焼津港の徴用船)が難破し、真冬の知床岬で危機状態に置かれた船長が、船員の遺体を食べて生き延びた。 日本の歴史上、食人は幾度と発生したが、本件は「食人によって刑を科せられた初めての事件」とされる。日本の刑法には食人に関する規定が無いため、釧路地裁にて死体損壊事件として処理された。 名称は、本件を題材とした武田泰淳の短編小説『ひかりごけ』(1954年初出)に由来する[1][注 1]。 知床半島の衛星画像(2005年時) / 「ペキンノ鼻」はおよそ岬の先端部、北東側に位置する[注 2]。 1943年(昭和18年)12月、日本陸軍の徴用船[注 3]が7人の乗組員を乗せ、船体修理のため根室港から小樽市へ向かう途中、知床岬沖合で大シケに遇い、座礁した[2