こんにちは、ブログではご無沙汰しています。イワサキです。 今日は、『大神 絶景版 (Okami HD)』の発売日ということで大神にまつわる内容で SD作品のHD化移植に関する技術的な話題をお話してみようと思います。 「大神」はPlayStation2で2006年4月20日に発売された作品ということで、 その6年後の今、絶景版として再び蘇ったことになります。 PS2版当時はSD解像度でしたので480iの表示でのレンダリング解像度でした。 今回ヘキサドライブでHD化移植担当させていただく際に、 ”PS2版のビジュアルの表現そのものを移植する”という大きな目標の他に、ヘキサドライブ社内では”HD解像度の魅力と恩恵を最大限に引き出す”という目標を持って取り組んできました。 当初720p(1280x720)での移植の想定でプロジェクトがスタートしました。 実際開発途中の段階では720pでレンダリング
2012-10-31 戻ってまいりました 初っ端から自分語りで始めますか。そして長文。 なんと申しますかおめおめと舞い戻ってまいりました。元なんとやらのなんとかと申します。見よこの捨てアカそのもののIDを。捨てアカのつもりだったから当然なんですが。俺、増田って匿名でだいたいなに書いてもいい場所だと思ってたんですけど、俺はそれやっちゃだめなようです。別に日常のなかのため息みたいな文章書いてる人ほかにもいるじゃねえかよと思ったんですが、俺の場合はなに書いても俺にしかならないという事情があるようで、だったら自分のスペースでやれという意見は当然かと思います。 もちろんほかの場所でこっそりとやってもよかったんですが、俺の場合、なに書いても俺っぽい文章にしかならず、しいて一人称を変えたり俺であることがばれないようにとかいろいろやったんですけど、そもそも俺は俺の書きたいようにしか書かないので、それだとぜ
コピーを書くときには、まずは頭で何かを考え、次にメモ紙に「要するに」と書きだし、「要するに」に続く文章をそのままメモに書き、最後に「要するに」を削除するとうまくいく、というコピーライターの話をどこかで読んだ。 「要するに」という書き出しは、結果として削除されてしまう、不必要なものだけれど、頭にある発想を形にしていく上で、書かなくてもいい書き出しをあえて書くことには大切な意味があるのだと思う。 Twitter は話し言葉で書く Twitter はふだん、話し言葉をそのまま書くように心がけている。そうすることで、頭の中にある漠然とした考えが、文章として具体化する可能性が高くなるような気がしている。 Twitter ではだから、自分が書いた文章には、「こう、」とか、「なんというか、」とか、「なんとなく、」とか、それだけでは何の意味もない書き出しがたくさん出てくる。書き出しの言葉は意味を持たないけ
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