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2011年10月5日のブックマーク (2件)

  • 破壊的技術の犠牲となった米コダック

    コダックの窮状は、当時まだ同著に記されるほど進行していなかったが、クリステンセン氏の論題を完璧に説明するものだ。 コダックは1世紀にわたって銀塩フィルム・印画紙を事業基盤としてきた。デジタル画像がもたらす脅威は認識しており、その研究に多額の資金をつぎ込んだが、有用な効果は得られなかった。 銀塩に固執したコダックの誤算 筆者が1990年代半ばにニューヨーク州ロチェスターにあるコダック社を数回訪れた時、同社の文化的な思考がはっきり示されていた。様々な幹部が、銀塩がいかに素晴らしいか語ってくれた。プロのカメラマンやハリウッドは、銀塩なしではやっていけない。デジタルは素人向けで、彼らでさえ常に、家族のアルバムやホームビデオのためにプリントを欲しがる、というのである。 当時コダックの会長だったジョージ・フィッシャー氏は、来もっと分別を持てるはずの格好の立場にいた。根っからの科学技術者で、モトロー

    kuenishi
    kuenishi 2011/10/05
    "様々な幹部が、銀塩がいかに素晴らしいか語ってくれた。プロのカメラマンやハリウッドは、銀塩なしではやっていけない"
  • 周回遅れの証拠 - 傘をひらいて、空を

    現代の厄年なんじゃないと誰かが言った。その場に集まった人々の外見は無軌道に異なっていた。ふだんは接点のない者同士で、ただみんなが好きなので、の話をしようとして来たのだった。それぞれが初対面であったり、そうでなかったりした。 そうして誰かが言ったのだ。二十八って現代の厄年なんじゃないの。カトウくんそう思って乗り越えなよ、俺も二十八のとき仕事で大失敗して死んでやろうかと思ったもんね死ななかったけど、それでマキノさんは、ほら前に言ってた、一年間で三回交通事故に遭ったってやつ、あれ二十八くらいだよね、ほかの人も、なんか、ない。 どうやら二十八歳のカトウくんが今現在ひどく辛い目に遭っているために、二十八歳厄年説を裏づける話が募集されているらしかった。二十八からひとまわりが過ぎたというシライシさんがそのころの大失恋の話を披露してみんながそれに頷き、シライシさんは次の人を指名する。ケイタもあるでしょ

    周回遅れの証拠 - 傘をひらいて、空を
    kuenishi
    kuenishi 2011/10/05
    28歳。どうだったかなあ。しんどかったのは26,7のときだったからさほどとも思わずかといって特に凹凸もなく、そういう緩やかな死の時代だったのだろう。