コダックの窮状は、当時まだ同著に記されるほど進行していなかったが、クリステンセン氏の論題を完璧に説明するものだ。 コダックは1世紀にわたって銀塩フィルム・印画紙を事業基盤としてきた。デジタル画像がもたらす脅威は認識しており、その研究に多額の資金をつぎ込んだが、有用な効果は得られなかった。 銀塩に固執したコダックの誤算 筆者が1990年代半ばにニューヨーク州ロチェスターにあるコダック本社を数回訪れた時、同社の文化的な思考がはっきり示されていた。様々な幹部が、銀塩がいかに素晴らしいか語ってくれた。プロのカメラマンやハリウッドは、銀塩なしではやっていけない。デジタルは素人向けで、彼らでさえ常に、家族のアルバムやホームビデオのためにプリントを欲しがる、というのである。 当時コダックの会長だったジョージ・フィッシャー氏は、本来もっと分別を持てるはずの格好の立場にいた。根っからの科学技術者で、モトロー