前のエントリで、ツイッター上での北原みのりさんたちとのやりとりに関して、私からみた経緯をまとめてみた。そのやりとりを経て書かれたと思われる、北原みのりさんの「怒りを鎮める」というタイトルのブログエントリなのだが、具体的な流れを書かず、いったい誰のどのようなツイートをさしているのかまったく不明であるため、一連の流れとは別の読み物として読まれていってしまうものにもなっているように思う。 ブログエントリとして書いたものが別のものとして読まれること自体はいつでもありうることとはいえ、議論の当事者がおり、実際の発言もウェブ上に残っている中で、それを一切明示せずに実質上の批判を行う、というやり方については、北原さんなりの配慮だった可能性もあるのかもしれないが、私は正直いって、疑問を感じる。 そしてエントリの内容的には、この一連のやりとりに関して、北原さんは実は怒っていたのだということに気づいたというも
ブルース・E・ジョハンセン ブルース・E・ジョハンセンは、ネブラスカ大学オマハ校コミュニケーション学部のフレデリック・W・カイザー研究教授である。ドナルド・A・グリンデ・ジュニアと共同で、アメリカ先住民の統治慣行が合衆国憲法に与えた重要な影響について、先駆的な研究を行った。研究結果は、かつて論議を呼んだこともあるが、現在では広く受け入れられている。 合衆国政府の形成には、よく知られているヨーロッパの先例―とりわけ、ギリシャやローマの法律およびイギリスのコモン・ロー ― に加え、アメリカ先住民の民主主義の理念が大きな影響を与えている。自由を求めて植民地アメリカにやって来た移民は、それをイロコイ族などのアメリカ先住民の先住部族国家の連合体の中に見出した。こうした考え方は、ベンジャミン・フランクリン、トマス・ジェファソンおよびジョン・アダムズのかかわった議論の中ではっきり示されているように、憲
大阪W選挙の候補者に、ワーキング・ウィメンズ・ネットワーク(WWN)と大阪の男女共同参画施策をすすめる会が共同で公開質問状を出しました。 回答が届きましたので、以下に載せます(掲載、五十音順)。 ぜひ、選挙のご参考にしてください。 柳本あきら市長候補 吉村洋文市長候補 くりはら貴子知事候補 松井一郎知事候補 「橋下市長の「慰安婦」・性暴力発言を許さず辞任を求める会」からのお知らせです 昨年5月13日の橋下大阪市長の一連の「慰安婦」・性暴力発言以降、市役所前において抗議行動を続けてきました。 その間、辞任はおろか反省の態度さえ見せない橋下市長に対して、マスメディアが取り上げることもほとんどなくなっています。 しかし、暴言から1年が経ってしまう5月13日に、彼の暴言をうやむやにするのではなく、改めて公人としての責任を追及し、強く辞任を求める集会とデモを催します。 ぜひ、お誘い合わせの上、ご参加
フェアトレード批判をしている、投資家の記事が話題になっている。 やまもといちろう「数字をきちんと読めない人がフェアトレードとか言い出すと大変なことになるかもしれない(メモ)」 http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/05/post-8bfe.html 私は、どちらかというと経済の話題は苦手なのだが、あまりにもひどいフェアトレード批判なので、教科書的なことのみメモしておく。 事の発端は、堀江健太郎のフェイスブックに挙げられた、以下の図とコメントである。 この絵、学校教育としてきちんと伝えるべきだと思う。 突き抜けないとこの絵の底に溜まったコーヒーしか飲めないよ、ということを。 コーヒー農家に限らず「一般的」な世界ではプレーヤーが違うだけで、個人に還元される利益はどこも同じような構造だと思うので。 俺はこういう構造に気付くまで多くの時間を要してしまったけれど
ネットで、右翼的な発言をする人が増えた(と皆感じている)。ここではこういう人をネット右翼と呼ぼう。わざわざ新しい言葉を当てたのは、これが本当の「右翼」とも違うからだ。 本物の右翼は、我々日本人が一致団結して、お互いを仲間とみなして行動しなくてはならないと説いている。右翼が天皇崇拝をするのも、これが「日本人の魂」であり「日本人の証」だからだ。現代風に言えば、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるからだ。つまり、天皇崇拝とは、それが象徴している日本という国を大事に思っているということであり、同様に日本という国を大事に思っている人の集団が日本という国である。 で、これは実を言うと、市民運動家などの、今皆が左翼だと思っている人々にも通じる考え方である。こうした人々は、我々地球人が一致団結して、お互いを仲間とみなして行動しなくてはならないと説いている。つまり、「仲間」の範囲が日本か地球全体か
■ 同じことが、最近、政府が拷問を行っていることを公認したことにも当てはまる。ディック・チェイニーが拷問の必要性についての猥褻な声明を行うとき、我々は問うべきであろう。 「なぜあなたはそれを公言するのか?」 まさにそれこそが我々が為すべき質問である。あなたにその声明を行わせているのはいったい何者なのか? 「24」に関して本当に問題であるのは、番組が伝えているメッセージではなく、メッセージが公然と認められているという事実である。この事実は、倫理的・政治的な基準に関して我々が深く変化していることの嘆かわしい徴候なのだ。 (了) ■「語る内容」と「語るという行為」との間に存在する、解消できない裂け目――たとえば「あなたはそのように語るけれど、でも、『なぜ』あなたはそのことを公然と私に語るのだろうか?」のような――は、人間の発話に内在しているものである。 たとえば我々は皆、知人の話が退屈でバカバカ
■ジャック・バウアーと緊急時の倫理 http://d.hatena.ne.jp/flurry/180009 では、拷問に関する懸念や重箱の隅をつつくような差異で拷問を区別しようとすることに対する、以下の回答――人気があり表面的には説得力のある――についてはどうであろうか。 「何を空騒ぎしているんだい? たった今、合衆国が拷問を行うことを公認したってだけじゃないか。少なくとも合衆国は黙認状態でつねに拷問を続けてきたし、他のあらゆる国家も拷問を行ってきたんだ。むしろ今の僕らは以前よりも偽善的では無くなったんだよ」 これに対しては以下のような単純な反問を返すべきだろう。 「そのことが合衆国政府の声明が意味する唯一のことだったら、『なぜ』彼らは拷問を公認したんだ? 以前からそうしていたように、黙って拷問を続けていれば良いじゃないか」 「語る内容」と「語るという行為」との間に存在する、解消できない裂
くまにちコム 2012年03月29日 「スポーツ現場のセクハラ 女子選手に目立つ寛容」 女子選手は男性指導者のセクハラ行為に寛容−。こんな調査結果が、熊本大でこのほど開かれた第21回日本スポーツ社会学会で発表された。県内でも後を絶たないセクハラ事件の背景について研究者は、「一般社会と懸け離れた考えが醸成されている可能性がある」と、選手側に人権意識が十分に根付かない環境を問題視する。 (後略) 記事で紹介されている研究も―報道されていることから判断する限り―尊重すべき問題意識にもとづくものであろうし、その研究を紹介した報道にも敬意を表したいと思うのだが、どうにもひっかかるところがある。具体的には「女子選手は男性指導者のセクハラ行為に寛容」であるとか「セクハラ被害は小中学生時代から受ける可能性もあり、早くから選手側へ人権意識を育む必要がある」といった表現。本来許容すべきでないことまで許容するの
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