「まるで中国、北朝鮮」と言うのではなく、「まるで大日本帝国」と言おう。 - 村野瀬玲奈の秘書課広報室 日本の悪いところを表現するために、「北朝鮮」なり「中国」なりが持ち出されるとしよう。その際にまず指摘されるべきなのは、そのようなイメージは、現実の朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国とは無関係に浮遊しているということだ。それらの国に不正義がないということではない。というか、不正義はどこにでもある。正義の役割はまさに、どこにあっても、いつなんどきでも、不正義を嗅ぎつけ、告発することにある。したがって、正義ある限り、正義が果てるまでは、不正義はある。いつだって。どこだって。 第二に重要なのは、日本がまずあって、それが「北朝鮮」なり「中国」なりに比されるのではないということだ。そうではない。そうしたイメージを構成的外部とすることによって、日本なる同一性が立ち上がるのだ。本来、日本は「北朝鮮」や