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古墳時代と文化に関するkukurukakaraのブックマーク (2)

  • 河原で拾った古墳時代の遺物は実は半世紀前の木更津高校で作られたレプリカ(模造品)だったことが分かった🏞️

    酸で溶かすなとかウエメセで言われてたりもしてたけど、よくよく考えてみれば千年以上前の鉄製品が河原の水に晒されて原型を留めることなんて有り得ないと思うよね(尤も発掘した時の原型を留めたままにさせるのは間違いではないが)。 勇み足だったSNSの考古学者達も少なからずいたと思うけど、社会学のように主観の集合体みたいなものなので上高森遺蹟のように見抜けなかったってことがここでまた明るみになってしまったな…。 また100年後か200年後か先に千葉県の佐倉辺りで埴輪が見つかったと大騒ぎしたら実は国立歴史民俗博物館で売られていた土産物でしたってことにもなりゃせんよね?(それはそれで貴重かも知れんけど) 江戸時代の茶碗🍚かと思ったら平成の廃屋🏚️の茶碗でしたってオチもありそうだよね。

    河原で拾った古墳時代の遺物は実は半世紀前の木更津高校で作られたレプリカ(模造品)だったことが分かった🏞️
  • とうとう見つかった古墳期の秋田市の片鱗…この意味が持つ意味とは? - 北海道~東北関係史検討グループ報告書

    https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/05/01/193325 「古代,中世北海道に文字は…必ずある」… これを前項としよう。 2024.5.31、秋田さきがけ新聞紙上で結構センセーショナルな秋田の考古学上の記事が載る。 引用してみよう。 「秋田市文化振興課は昨年実施した秋田市山王の遺跡「鋳砲所跡」の調査で、古墳時代 (3~7世紀)の5世紀後半のものとみられる竪穴建物跡や土器などを確認した。同市で 同時代の遺構や遺物が見つかったのは初めて。同課によると、大和政権の影響を受けた地域で波及した古墳文化の遺跡という。同課を所管する市観光文化スポーツ部の納谷信広部長は「古墳文化が県内に浸透していたこと が一層明確になった。古墳時代の秋田を明らかにする上で大きな手掛かり」としている。」 遺跡は秋田市山王で、 久保田藩が「鋳砲所」を設けた場所。 立

    とうとう見つかった古墳期の秋田市の片鱗…この意味が持つ意味とは? - 北海道~東北関係史検討グループ報告書
    kukurukakara
    kukurukakara 2024/06/04
    “古墳期と言えば「前方後円墳」だが、その北限は出羽側は山形、陸奥側で最北が岩手県奥州市の「角塚古墳」、今のところ秋田には無い”
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