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ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (7)

  • 『百年の孤独』をみんなで読むと100倍面白い

    ガルシア=マルケス『百年の孤独』は、何度読んでも面白い。 私の記憶力の無さと、再読までに積んだ経験によって、読むたびに面白いと感じるポイントが変わっていく。は変わらないのだから、再読による発見は、自分の人生の厚みが変わったためなのだろう。 さらに、この小説を楽しんだ人の感想を聞くと、十人十色で面白い。私に近い人もいれば、予想外のところにハマった人もいる。アウト・オブ・眼中の所にのめり込んだ人の話を聞くと、「なるほどなぁ!」と新鮮に読め、一冊で二度も三度も楽しめる。 小説なんだから好きに読めばいい。 引っ掛かった描写。伏線に見えるセリフ。湧き上がるイメージと、それに結びついた自分の読書経験と実人生の体験。学校じゃないんだから、「正解」なんてものはなく、「ぼくのかんがえたさいきょうの読解」の多様性を楽しむといい。 そんな皆さんの感想を伺うべく、『百年の孤独』の読書会に行ってきたので、レポート

    『百年の孤独』をみんなで読むと100倍面白い
  • なぜ『百年の孤独』が面白いのか、ネタバレ抜きで語ってみる

    人生で3冊読んだけど、3冊とも面白かった。 最初は水色のハードカバー版で、次は白黒のやつ、そして最近出た新潮文庫を読んだことになる。ストーリーは知っているし、あのラストの感情の奔流は何度も味わっているのに、それでも無類に面白い。 何度も読んだのに、なぜ、面白いのだろうか? まともな人間が(ほぼ)誰もいないブエンディア一族の奇妙な生きざまや、日常的に非日常が描かれるマジックリアリズムの磁力、あるいは、奇妙で悲惨でユーモラスなエピソードが隙間なく詰め込まれているストーリーは、どこから見ても面白い。 しかし、3冊目の新潮文庫を読みながら、そうしたストーリーやキャラだけでなく、『百年の孤独』そのものに面白さが練り込まれていることに気づいた。 ここでは、物語の展開や登場人物の運命にはできるだけ触れずに、ネタバレ抜きで、『百年の孤独』の面白さを語ってみる。 既視感と未視感の混交 例えば、中毒性のある文

    なぜ『百年の孤独』が面白いのか、ネタバレ抜きで語ってみる
  • 死ぬときに思い出す傑作『イギリス人の患者』

    死ぬときに思い出す小説の一つ。 あれを読めば良かったとか、これがまだ途中だったとか、未練は必ずあるはずだ。どんなに読んでも足りることはないから。そんな後悔の中で、エピソードや描写を思い出し、読んでよかったと言える作品の一つが、『イギリス人の患者』だ。 映画が公開されたときだから、20年以上前に読んだのだが、いま再読しても美しい。詩的で情緒豊かに紡がれる、四人の男女の破壊された人生の物語だ。 あらすじはシンプルだ。 第二次世界大戦の終わり、イタリア北部の半ば廃墟となった修道院が舞台となる。そこで生活を共にするのは、看護婦のハナ、泥棒のカラヴァッジョ、インド人の工兵のキップ、そしてイギリス人の患者となる。人生のわずかな期間にすれ違う男女が、自身の半生を思い出す。 ただし、けっして読みやすい、ストレートなお話ではない。 時系列は無警告で前後するし、エピソードの粒度や解像度はバラバラだ。後になって

    死ぬときに思い出す傑作『イギリス人の患者』
  • 「ミスを罰する」より効果的にミスを減らす『失敗ゼロからの脱却』

    ミスや失敗をなくすため、ヒューマンエラーに厳罰を下すとどうなるか? 一つの事例が、2001年に起きた旅客機のニアミス事故だ。羽田発のJAL907便と、韓国発のJAL958便が駿河湾上空でニアミスを起こしたもの。幸いにも死者は無かったものの、多数の重軽傷者が出ており、一歩間違えれば航空史上最悪の結果を招いた可能性もあった。 事故の原因は航空管制官による「便名の言い間違い」にあるとし、指示をした管制官と訓練生の2名が刑事事件に問われることになる。裁判は最高裁まで行われ、最終的には2名とも有罪となり、失職する。判決文にこうある。 そもそも、被告人両名が航空管制官として緊張感をもって、意識を集中して仕事をしていれば、起こり得なかった事態である [Wikipedia:日航空機駿河湾上空ニアミス事故] より 芳賀繁『失敗ゼロからの脱却』は、これに異を唱える。 事故は単一の人間のミスにより発生するので

    「ミスを罰する」より効果的にミスを減らす『失敗ゼロからの脱却』
  • やり直せない過去は変えてしまえばいい『グレート・ギャッツビー』

    おっさんになって再読すると、違った面が浮かび上がって面白い。 若いころに読んだときは、自己中男の醜さや、頭空っぽの女の美しさが印象的だった。自己陶酔的な語り手に鼻白んだことも覚えている。 だが、いま読み返すと、ギャッツビーのひたむきな愛が眩しく、可愛そうなくらい未熟で愚かに見える。人生を折り返して、やり直したくてもできなくなった親爺からすると、ギャッツビーの愚かしさは、一周回って愛おしいものになる。 ギャッツビーを「愚か」というのは言い過ぎじゃない? そういうツッコミが聞こえる。 貧乏な生まれながら身一つでのし上がって大金持ちになったギャッツビーが、有り余るカネを湯水のように使って夜な夜なパーティを開く―――愚かに見えるかもしれないが、ちゃんと理由があるからで、それを「愚か」と呼ぶのは言い過ぎだろう……というツッコミだ。 しかし、私が「愚か」と感じるのは、そこじゃない。例えば、語り手である

    やり直せない過去は変えてしまえばいい『グレート・ギャッツビー』
  • 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』好きにお薦め『太陽の簒奪者』

    面白いに出会うコツは「これ面白いよ!オススメ!」と公言すること。すると、「それが面白いならコレなんてどう?」とオススメ返しされることがある。その面白さは高確率で「あたり」だ。 『太陽の簒奪者』なんてまさにそう。 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を気に入った人には、『太陽の簒奪者』(野尻 抱介)も好きだと思うんですよね。太陽光が奪われていくという導入と、人類全体でそれを解決しようとするというところは似ているのですが、展開はだいぶ違います。ともに名作だと思います!https://t.co/SVTDQmHngG — Kazu SUZUKI (@kz_suzuki) February 12, 2024 野尻抱介『太陽の簒奪者』は、実は10年前に読んでいる。だから、ストーリーも展開もラストも全部知っている。 けれども、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んだ身で改めて読むと、めちゃくちゃ興奮し

    『プロジェクト・ヘイル・メアリー』好きにお薦め『太陽の簒奪者』
  • 「打ちのめされるようなすごい本」に打ちのめされる

    打ちのめされるようなスゴ。米原万里が遺した書評集。濃くて厚い時間を過ごすことができた。びっしりと付せんが貼られた「あとで読む」は、読んだらここでも紹介しよう。 何がスゴいかというと、彼女の読みっぷり。平均7冊/日のペースを20年も続けている無類の好き、読書好き。書評委員という立場もあり、出版社からの献もあるだろうが、「面白い」を見つけてくる嗅覚がスゴい。ハズレの無さは驚異的といってもいいほど。 そうして見つけてきた「すごい」たちの紹介っぷりも、またスゴい。時には辛辣に批評し、あるいは手放しで誉めちぎる。そのヒートアップダウンが面白い。熱くなってしつこく「読め読め」とぐいぐい迫られているような気分になる。 そんでもって、うまいんだ、殺し文句が。例えばこう、 高野和明著「13階段」を寝しなに読み始めたのがまずかった。一行目から謎解きとスリルの罠に絡め取られて、とにかく途中でおっぽり

    「打ちのめされるようなすごい本」に打ちのめされる
    kukurukakara
    kukurukakara 2007/01/31
    米原真理「打ちのめされるようなすごい本」 文藝春秋
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