2019年3月10日のブックマーク (2件)

  • 福生病院に長谷川豊はいない

    透析中断による死亡に関するニュースへの反応(ブコメ)をみて気になったから書く。 長谷川豊の透析関連発言を擁護する意図は毛頭ないので勘違いのないように。 長谷川豊の発言の趣旨は、「透析患者が透析が必要になったのは自業自得。そんな患者達が税金や健康保険を大量に使って生きながらえるのはおかしいから透析患者は透析をやめて死ね。」ということだろう。 今回の件について、担当した医師の意図はわからない。 福生病院の説明では、「当院で悪意や手抜きや医療過誤があった事実はない」とされている。 おそらく医師個人のなんらかの目論見として透析中止を提案したのではなく、コメディカルを含む医療チームによる提案なのだろう。 ではなぜ透析中止を提案したか。 これは、維持透析を続けていくことが患者人にとってベストな選択かどうかを見直すきっかけを与えたということではないだろうか。 一言に「週3回の透析を死ぬまで続ける」と言

    福生病院に長谷川豊はいない
    kumarch
    kumarch 2019/03/10
  • 人工透析患者の「本人の意志による治療中止」を認めるならば積極的安楽死とセットでなければならない

    どうにも長谷川の「透析患者は殺せ」の時から,議論の一部に違和感を感じていたのだが,今回の福生病院の件ではっきりした。表題の,私が大前提だとおもっている事実が(なんと医者であっても)共有されてはいなかったのだ。 消極的安楽死というと,自力呼吸ができなくなった患者の人工呼吸器を外す,というようなものが普通は想定されるだろう。人間は呼吸ができなくなれば,数分のうちに,長くても十数分のうちに意識を失い死に至る。 だが,人工透析患者に消極的安楽死は適用できない。透析をやめても患者はすぐには死なないからだ。少なくとも一週間,長ければ数週間は生き続ける。そして最後の数日は,尿素や老廃物が「死ぬほど」体の中にたまり,苦痛のうちにのたうち回ることになる。緩和ケアなんて無理だ。体中に毒物がたまった苦痛を除去できる技術なんか無い。 「人工透析患者は死ね」という論者であっても,さすがにそれを望むほどには鬼畜ではな

    人工透析患者の「本人の意志による治療中止」を認めるならば積極的安楽死とセットでなければならない
    kumarch
    kumarch 2019/03/10
    誤認の多い増田。適切な緩和ケアで苦痛の除去は可能。透析をやめた瞬間に薬剤による安楽死が必要ということが議論の大前提とはなり得ない。/ブコメに判断力云々とあるが、末期がん患者にも同じことが言えるのか。