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流石に実質今年最後のエントリが女子アナ妄想ネタだとアレなので、少しは真面目な話もしておこう(笑)。 最近どらねこさんのところで「完全母乳育児」の問題が論じられているが、これも大きく括れば極端な自然崇拝の一種と謂うことになるだろう。どらねこさんの記事を読む限り、勿論新生児の栄養源として母乳が優れているのは当然だが、それにミルクを足したり、母乳の出が悪ければミルクで代替したりすることに何か問題があるのかと謂うことなのだが、まあウチの兄弟なんか殆どミルクで育っているので、経験則的には何の問題もないだろうと思う。 どらねこさんの記事は、助産院を発信源とした出産・育児に纏わる諸々のニセ科学の問題の一環としての性格もあるわけだが、個々の問題について具体的に是非を論じるにはこちらの素養や知識が足りないので、大枠の自然崇拝の問題を考えてみたい。 最近ちょっと考えているのは、自然崇拝の背景にある普遍的な動機
分離脳についての実験からは「説明装置」とでも呼ぶべき機能が左脳側にあることが示唆される。たとえ(分離脳の状態になければ右脳から送られたであろう)正しい情報がなくても説明装置はとにかく結論を出す。 端から見ている実験者の立場ではそれはどう見ても作話であるのだが。どうも(少なくとも言葉で説明ができるような)自我は、脳で働いている様々なモジュールがそれぞれ高度に専門化された仕事をこなした後の最終結果しか知らされていないようである。 交通事故などで手足の神経を損傷した患者が「これは私に見つからないように隠れている他人の腕なんだ」とか「誰かが死体の腕をくっつけたのだ」とか、かなりトンデモない考えを抱くようになることがあるという。これは必ずしも現実を受け入れたくないがための通常の精神作用のひとつとばかりとは言えないようだ。 というのも全くの健康な被験者であっても、鏡などを巧みに使ったトリックによって自
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