夏の子供。
良く晴れた朝。男木島から豊島へ。高速艇で移動。いつも乗るフェリーとは違って視線が低い。実は乗りものが苦手。そういえば私も子供の時はそうだった。ガソリンと乗りもの籠った何かが混ざった匂い。揺れ。豊島での移動は何かと大変で写真が全然撮れなかった。現像された写真で見たら時間がパンって飛んでるみたい。目的の場所はボルタンスキー「心臓音のアーカイブ」。子の心臓の音と私の心臓の音を録音してCDにしてもらう。その場で作品のひとつになった2人の心臓の音。子の心音は早くて軽くて徒競走の駆け足の音みたいだった。「ここにいるよ」とメッセージを残す。とろんとした海に、白い飛沫。
もう少し夕暮れ散歩。 高台の方へ。海の向こうに見えるのは高松市。 子が「保育園を見たい」と言うので探検。 今、島には子どもが小学校中学校合わせて3人しかいなくて、夫が通っていたこの保育園は5年くらい閉園したままだそうです。漕げないブランコ。 港に戻る道すがら。ここにも芸術祭関連の看板。方言で「オンバ」という手押し車を使った何か、らしい。→オンバ・ファクトリー 港に戻って、陽が海に溶けていくのをぼんやり見る。溶けきる前は激しいのに、溶けてしまうと優しい絵本みたいな色になる。
「瀬戸内国際芸術祭」が始まりますね。記念のように季節の外れた5月の瀬戸内写真(男木島写真)をあげていきます。 乗せてきてくれた船。映画にもなったようです。「めおん」芸術祭に合わせて上映があるのかな。 娘と夫の楽しみは釣り。いそいそと準備。 堤防の上、真剣そのもの。 この島にしては、ものすごく人のいる日でした。 あの特等席に行きたいな、と言う私。(向かう写真がこちら) 島は、冬は浜風にさらされてぎゅっと寒くて、春から夏は太陽ってこんなに元気なものなのかと思うくらいに照ります。 この島で育った夫の話を聞くと、死がいつも傍にあって。でもそれは島の人間にとっては受け入れるまでもなく当たり前のことで。 雨が降って海が荒れて人が死ぬことも。雨が降らず土が乾いて木々が枯れることも。生きるために何かを殺して食べることも。 だからと言うわけじゃないだろうけど、色んなものが生きているという今に真っ直ぐな感じが
19:46最近観たものについて、ちょっとでもいいから言葉にしていきたいなあと思いながら、夏休みの宿題のように溜まってしまったのを、夏休みの宿題のようにまとめて書く。 パレード悪くはないのだけど、今ひとつ。肝心なところで浅くなってしまう。音や撮り方は好きだった。多分、小説の方が面白いんじゃないかと思う。貫地谷しほりをかわいいとか上手いとか思ったことが無かったのだけど、これでは、なんとなく良かった。人は誰かと居る時には、必ずその誰かの目に映る自分を意識している。意識するだけでなく演じているかもしれない。でも、だからと言って独りでいる時の自分が本当の自分だと言えるわけではない。意識している自分も、誰の目もないと思っている時の自分も、どちらも本当で偽物の自分なんだ。そんなことを考えた。 Dr.パルナサスの鏡お芝居っぽいなあと思った。CGばりばりなので、スケールが大きい話に思えるけど、実はそうでもな
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