日本にやってきた概念は、本来の意味を喪失し、ほかの言葉と区別がつかなくなりがちです。例えば、ウェブ業界では「UX」と「UI」の混同が代表的です。 こういった日本の知的環境について、『日本のかたち』収録論文が明晰に論じていました。その要約は次のようになります: 神聖なるものを映し出すべき神鏡が錆びている。歪んだ像を見せる。「神聖なるもの」が元のかたちをとどめることがない。 楷書、行書、草書から平仮名へ至る漢字書体の変化は、神鏡のようだ。漢字が論理的なのに対し、仮名は情緒的で、日本人の言葉にふさわしい。日本にふさわしいかたちに変わった。 日本のかたちは、とどまらず、うつろい、消えてゆく。君が代で謳われる「巌」は、しかし苔むす「変わり得る巌」であって、国体すら変わり得るのだ。その柔軟さこそ日本のかたちなのだ。 日本という国は、舶来の概念をなんでも受け入れます。その際に、どんなに強固な概念であって