31歳、乳がんで早世した女流歌人だ。 北海道帯広市の野江呉服店の娘として生まれたふみ子は、左乳房の切除手術を受けたが、 がんは転移しており放射線治療を受けるも1954年になくなった。 死の直前『乳房喪失』の歌集がベストセラーになり、 死後は映画『乳房よ永遠なれ』が有名になった。 中城ふみ子が育った野江呉服店は、開拓地の都市のなかでではあるがかなり裕福で、 ふみ子を帯広高等女学校から東京家政学園に学ばせる余裕があった。 解りやすい言い方をすれば「プチブル」だった。 ふみ子の写真は多く残されているが、どこか気取っていて、 しなを作ったりポーズをとったりするものがほとんどだ。若いころは特にそうだ。 彼女は「プチブル」なのだ。「私はあなたたちとは違うのよ」とでも言いたげな、言い方が悪いが、 いかにも「成金」的な姿勢が写真からにじみ出ているようで、私はひどく嫌だった。 彼女の容姿はかなり整っている方