自剛天真流:“じごうてんしんりゅう”と読みます) 自剛天真流は代々、筑前福岡藩五十二万石に門外不出の御留流として伝えられた武術である。 創流時はすべてのものを武器として使用する綜合武術であったが、現代では柔術、及び抜刀術だけが伝えられている。 福岡藩にて、自剛天真流は柳生新影流、安倍立に次ぐ第三流に位置付けられていた。 抜刀術、柔術の他には相手の力を利用した技や護身術、逮捕術などがあった。 流祖・藤田長助麓憲貞(天保15年・1844没)は、海賀藤蔵直方に楊心流、 笠原流(開祖 笠原三郎右衛門雪近)、 柳生石舟斎宗巌から免許皆伝を許された高弟 福野七郎右衛門正勝が開祖の良移心当流を久保貞治から習い、三つの流派の免許皆伝を得た後、 自ら工夫を重ねて、麓天真流とし一流を開いた。 後に為勢自得天真流と改称し、晩年は大坂町奉行所師範となった。 自剛天真流となったのは、9代庄林藤原道一の時。 従って、