佐藤真海(まみ)=サントリーホールディングス=は東京にいた。激しい揺れ。ここでこんなに揺れるなら、震源地はどれほど大変だろう。 やがてテレビが、津波の第1波を映し出した。故郷気仙沼が海にのみ込まれていく。鳥肌が立った。手をつくしても両親との連絡が取れないまま6日目。行けるところまで行こうと電車に乗ったそのとき、携帯電話が鳴った。 母からだった。 無事と分かるまでの長い時。本当に辛かった。地獄なら、もう見たと思っていた。でもあれは自分のこと。家族のことを思う今の方が、ずっと辛い。そのとき知った。あのころも、私より家族の方がきっと、ずっと辛かったんだ。 一月後、初めて気仙沼に帰った。町に乗り上げた大型漁船。津波の到達点を刻む残酷な境界線。言葉も涙も出なかった。吐き気がした。ただ海は、静かだった。生活の一部だった漁港の海はいつも通り、チャプチャプ、キラキラ。あの日、一瞬化けただけの海。