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2017年6月19日のブックマーク (3件)

  • どうしてたって生活 例えば頼るものは音楽 - dokoka no bourei

    どうしてたって生活だ、と感じることが第一だと思います。 それは例えば風邪を引いたときに感じる、普段普通にできることが出来なくなってしまった時であったり 健康な状態でその普通をしている最中にふと、それらがすべていとおしくなったりする時 自分の空っぽさにただただ悲しい時など いろんな時があってその時どきの生活がありますが、今している生活、それが絶対的な答えである、というわけでもないこと、それがどうしてたって生活だと思い、最終的に愛しているうちは、楽しい暮らしができると思っています。 「はた目から見ていつでも明るいこと、が必ずしも健康ではない時があること」はこれが理由になるのかなぁ、なんて思ってみたりもします。いや、あくまで主観ですけどね。 それらをつかまえる時って個人的には言葉が大事だと思っていて、自分の言葉だけではやはり拙いので、実体にするために他人の言葉に頼ることがある。 それは映画でも

    どうしてたって生活 例えば頼るものは音楽 - dokoka no bourei
    kuraruk
    kuraruk 2017/06/19
  • 蜘蛛の糸 - 芥川龍之介

    ある日の事でございます。御釈迦様(おしゃかさま)は極楽の蓮池(はすいけ)のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮(はす)の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色(きんいろ)の蕊(ずい)からは、何とも云えない好(よ)い匂(におい)が、絶間(たえま)なくあたりへ溢(あふ)れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。 やがて御釈迦様はその池のふちに御佇(おたたず)みになって、水の面(おもて)を蔽(おお)っている蓮の葉の間から、ふと下の容子(ようす)を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄(じごく)の底に当って居りますから、水晶(すいしよう)のような水を透き徹して、三途(さんず)の河や針の山の景色が、丁度覗(のぞ)き眼鏡(めがね)を見るように、はっきりと見えるのでございます。 するとその地獄の底に、陀多(かんだた)と云う男が一人、ほ

    kuraruk
    kuraruk 2017/06/19
    この話のせいで蜘蛛は見つけ次第逃す事に
  • ユーザーインターフェイス解剖学(公開版)

    Goodpatch Engineer Meetup Vol.3 エンジニア目線で考えるデザイン」で発表したスライドの公開版です。 https://goodpatch.connpass.com/event/56973/

    ユーザーインターフェイス解剖学(公開版)
    kuraruk
    kuraruk 2017/06/19