昨年度で東京大学を退職した隈研吾教授(工学系研究科)。国立競技場や高輪ゲートウェイ駅の設計に携わるなど、ますます注目を浴びる希代の建築家に、教員生活を振り返るとともに最終講義や本郷キャンパスの自作について語ってもらった。 *本記事の取材は2020年2月26日に行われました。 (取材・大西健太郎 撮影・西丸颯) 後編はこちら! 2009年、東大に着任 隈教授が東大に着任したのは2009年の4月。それ以前も慶應義塾大学理工学部で教鞭をとっていた。実務家として設計活動を行いながら、大学で建築学の教育を行う建築家はプロフェッサー・アーキテクトと呼ばれる。プロフェッサー・アーキテクトとして、長年大学で後進の育成に携わってきた隈教授に、東大での教員生活を振り返ってもらった。 ──プロフェッサー・アーキテクトとして活動されてきました アカデミー(academy)という場所は、建築においてすごく重要な場所