「自分の頭で考える」「自分の幸せの定義は自分で決める」 なーんて言葉をよく耳にするようになって早数年、当初はそれなりに目新しかったこれらの言葉も今じゃすっかり手垢がついたように感じられ、むしろ陳腐にすら聞こえる。それは私自身が、自分の1つ1つの選択に関して「これは本当に私の意志か? どこまでが私の意志だ?」と疑い出したらキリがなくなってしまったということがあって、今年の2月にはちょうどこんなツイートをしている。 「自分の頭で考える」のは大切だけど、各々の判断を「これは自分の頭で考えた!」ってみんな本当に自信を持っていえるのかな。自分の頭で考えたとまわりの環境から思わされているだけ、という可能性は考慮しないのかな。私は「自分の頭」と「他人の頭」の境目でいつも戸惑っている。— チェコ好き (@aniram_czech) 2017年2月24日 そしたらちょうど都合よく、この私の疑問を徹底的に考え
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