ブックマーク / orion12.hatenablog.com (592)

  • エネルギーの交わるところにはナニカが起こりやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です

    それぞれの土地には長年かけて出来上がった場の波動というのがあります。 場の波動はその土地の地形によって起こるエネルギーの流れやそこで過去に起こった出来事に由来するエネルギーなどが複合的に絡み合って出来上がっています。 その要素の一つとして道というのもあります。 道というのは『現実にある道路のこと』であるとともに『エネルギーの通る道のこと』です。 っていうかその2つはリンクしていることが結構多いのです。 道を通るのは人や自動車だけではありません。 眼に見えないモノも通っていきます。 幹線道路のように交通量が多い場所なら尚更です。 そこを流れていく人や自動車などが多いほど基エネルギーも増えていきます。 人や自動車が様々なエネルギーを引き連れてくるからです。 しかも、エネルギーの流れが2つ以上交わるなら何らかの作用を起こす可能性はより高くなります。 高速道路でいえばインターチェンジやジャンクシ

    エネルギーの交わるところにはナニカが起こりやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 心のリミッターは大切です - 『クリアー整体ヒーリング』です

    苦しいことを苦しくない、嫌なことを嫌じゃないと自分自身に感じさせることでネガティヴな状況を緩和しようとする自律的な機能が人間には標準装備されています。 いわば『ランナーズハイ』的な機能です。 この機能は何かとんでもない緊急事態に心が遭遇した時などにはリミッターを一時的に外します。 人生にはノーマルな心の反応だけではとても乗り切れない場面も少なからずありますので。 そうすると普通では出せないような『火事場のバカヂカラ』的なチカラが出せるようになります。 リミッターによって制限されてた以上のチカラが身体にも心にも出るってことです。 それで、苦境を脱することが出来たりもします。 しかし、非常時には有難いリミッターを外す機能も平常時に働きっぱなしだとそのうち困ったことになります。 困ったことってのは、下り坂の道でノーブレーキで目一杯自転車をこいでるような状態になるってことです。 そんな状態で動いて

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  • 宿命論とはちっぽけな『個人』が見る幻想です - 『クリアー整体ヒーリング』です

    このブログではこれまで『根性論』というものについて度々言及してきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。 で、この根性論の仲間に『自己責任論』というのがあります。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると心に誓って物事に当たれば、どんなことでも出来ないことはない。」という前提からの「出来ないのは出来ない奴が悪いのだ!」という考え方のことです。 つまり、「やり方さえ間違わずに努力すれば何でも出来るのが当たり前!」という発想なのです。 この「何でも出来て当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だ」とベーシックに捉えてることを意味します。 ここでいう『予定調和の世界』というのは「この世界では何時でも何処でも誰にでも分かりやすく辻褄ってのは合うものだ」という考え方のことです

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  • 現世利益と等価交換の法則 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    いわゆる現世利益を求めての神頼みをするってことがあります。 眼に見えないモノのチカラを借りて願望実現をしたいってことなのでしょう。 ここでいう『現世利益』を求めることとは、眼に見えない存在に「どうかお金が儲かりますように!」とか「良い彼氏が見つかりますように!」とかのような、あけすけな欲望の成就をお願いすることを指します。 ご人は「現世利益をお願いするのは神さまなんだから、悪いことであるわけないでしょ!」てな感覚なのかも知れません。 でも、己れのあけすけな欲望の成就を願うことには危険が伴います。 そもそもの話『現世利益』を成就させるような存在ってのは物の怪の類いがほとんどです。 一言でいうなら神頼みは物の怪頼みってことです。 この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたく

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  • 「自分が正しい!」っていう思いが激しくなるほど生きづらくなる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。 ここのところは非常に重要な部分だと思います。 簡単に言えば「見方が歪めば見ている世界も歪む」のです。 ていうか誰しも大なり小なり見方は歪んでいます。 そして、見ている世界の歪みが恒常化すればするほどそれを正当なモノだと信じだすのです。 歪みが恒常化するってのは簡単に言えば「慣れる」ってことです。 どんな歪みであれその歪みが当たり前になった時点で「慣れた」ということです。 人は自分の『慣れ』に対して無自覚になればなるほど、それが「絶対正しい!」と思い込みます。 単なる『慣れ

    「自分が正しい!」っていう思いが激しくなるほど生きづらくなる - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 心のバランスと妄信するということ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間は元々『ブレる』ように出来てる生き物なので、生きている限りはずっと『心のバランス』を取り続けるしかないのです。 その「バランスを取る」というところからズレてしまうと遅かれ早かれ心は迷います。 『ブレない何か』を求める人々はソレのことを「真理」と呼んだり「自分軸」と呼んだり「ありのままのココロ」と呼んだり、色々します。 とにかく「のバランスを取るというめんどくさいことなど二度としてもよくなる万能の道具」としての『何か』のことです。 じゃあ、何故そういったモノを一生懸命求めるのかというと「この世には永遠に落ち着ける『心の場所』が必ずどこかにあるはずだ!」と根拠もなく信じているからでしょう。 永久不変の『エデンの園』みたいな心の場所がね… 森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。

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  • 正しいにこだわるほど人は『不寛容』になる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。 知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。 『正しいの比べっこ』というのは質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。 じゃあ、『正しいの比べっこ』というのは質的に「やってやられて」の世界ってのはどういうことかというと正しい!って想いは自己完結しないモノであるということです。 「正しい!って想いは自己完結しないモノである」

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  • 人智を超えたモノへの『畏れ』と人の勘 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。 それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎないからです。 もっと言えば古今東西世界で起こった出来事の全ても途轍もなく巨大なジグソーパズルの一欠片として存在しているってことです。 一人の人間の運というのもまた同じジグソーパズルの中に存在し

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  • 「人は本来ブレる存在である」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。 生あるものにとって「不変とは澱むこと」に他なりません。 生きてきた時間のある一ヶ所に踏みとどまろうとすれば劣化していきます。 つまりは未来へ向かって進んでいくしか『手』はないのです。 この世で生き続けるにはそれしか『道』はありません。 けれど、その『道』を進めば必ずブレます。 「自分は決してブレない!」って宣言するのは「自らの生きる『道』を捨てた」と言ってるのに等しいのです。 古今東西全ての人間が自分の見たいものを見たいように見てきました。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識

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  • マヤカシと「自分だけが本当のことを知っている!」と思いたがる人 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    この世とはある意味マヤカシだらけの世界です。 マヤカシだらけの世界とは裏返して見れば『もっともらしさ』を競う場です。 出来のいいマヤカシは八分くらいの当の中に二分の大きな偽りがさりげなく混ぜ込まれているのです。 そうすれば、その当に目が眩んで偽りがもっともらしく見えるからです。 これもホント! それもホント! あれもホント! と来て最後に肝心なウソでドーンと落とすわけです。 というかドーンと落とされてることにさえ下手すりゃ一生気が付かないまま終わります。 だから、この世のマヤカシにどっぷり浸かりながら己れの「正しい!」を存分に味わうことだって可能です。 っていうか世の中そういう人だらけな気がします… 事の真贋ばかりにいつもピントを合わせていたら遅かれ早かれ心は迷います。 マヤカシの持つ『もっともらしさ』に心の眼がくらむからです。 マヤカシに一生ヤラレない保証は何処にもありません。 誰だ

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  • 心のバランスと闇に堕ちる人 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    コインには表と裏があります。 裏だけを削り取ったら、その時点ですでにコインではなくなります。 表だけ削り取ってもそれは同じです。 夜が明けたら朝になる 雨が上がれば晴れになる 光があれば闇がある 片翼だけの飛行機はどうやったって飛べないのです。 光の中に闇を見る人は、闇の中にも光を見い出せる人です。 光だけを見て闇を見ようとしない人はマヤカシにやられて闇に取り込まれる人です。 闇の何たるか知ろうとするなら、闇に近付くしか知る術はありません。 闇に近付けば近付くほど否応なく闇を覗きこむことになるでしょう。 とはいえ闇は何時もおぞましいばかりの存在ではなく、一方で退廃的な甘美さも持ち合わせています。 そして、その退廃的な甘美さに絡め取られてしまう人も少なくありません。 「自分は何があってもそんなモノに絡め取られない! そんな弱い人間じゃない!」なんて考えてる人ほど危ういのです。そういう考え方こ

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  • 神秘体験にのめり込むと魔境に至る - 『クリアー整体ヒーリング』です

    スピリチュアル好きな人の多くが心の奥で『神秘的な覚醒経験』みたいなモノを望んでいるんじゃないでしょうか? 「神秘体験を通して万能感みたいなモノを得たい」って気持ちが強いということです。 でもね、神秘体験って一歩間違えれば危険なマヤカシに呑み込まれるキッカケになるんですよね… 古くから『魔境』って呼ばれている『心の迷い家』の入り口になってるのは確かです。 主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。しかも、人はその事に気付いていないという部分が何より大きいと思われる。 例によって例のごとく独断と偏見で申し上

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  • 「何でも分かってるぜ!」って感じの人にはあまり近付かないほうがいい - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ヒーリングなどしておりますと様々なエネルギーに出会うことになります。 日々発見と言っても過言ではないでしょう。 この世とは不可思議の連続です。 全てが分かるようになることなど一生ないと思います。 眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。 発見がそこら中に転がっている世界です。 「これは何だろう?」っていう疑問に、恐れとトキメキを感じない人間はそこに近付かない方が無難ではないかと考えます。 それ以外には不安と不安定しかないからです。 ヒーリングの世界は目隠しをして鳥取砂丘でスイカ割りをしてるようなものです。 鳥取砂丘全部を使ってのスイカ割りです。 暗中模索ってのがピッタリ来るような世界なのです。 でも、実際はどうかといえばヒーラーとか名乗っておられる方々の多くが「自分は見えない世界の全てを知り尽くしているぜ」的な感じを醸し出

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  • 心のドーピングは長く続けない方がいい - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいう『心のドーピング』というのは、心を不自然なやり方で一気に高活性の状態にしようとする行為のことを指します。 スポーツのドーピングもそうですが、一時的に無理やり心や身体の機能を活性化するようなことを繰り返せば、そのツケはいつか何処かで払わなくちゃならなくなります。 身体でいえば人より早く機能がボロボロになるでしょうし、心にもそれと似たようなことは起こるでしょう… 似たようなことというのは一つには『電池切れ』みたいになることです。 ドーピングで得られていたギラギラしたエネルギッシュさはそれをしなくなると急激に失われてしまいます。 その「誰にでも分かるほど心も身体も動かなくなった状態」を『電池切れ』と呼んでいます。 もっと激しくなればメンタルヘルスに明らかな問題が現れる場合も少なくないでしょう。 心が潤いも養分もない『出汁ガラ』のようになってしまうからです。 今の世の中は、多くの人々が自

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  • いわゆる輪廻転生と「魂が腐った人」の末路 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人は魂があるからこの世にやって来ます。 魂ある者が肉体を纏ってやって来るのが誕生というものです。 魂は「やるべきこと」があるからわざわざこの世界にやって来ています。 それが所謂輪廻転生することの理由です。 所謂『この世』というのは言ってみれば「学校の夏休み」みたいな世界だと思うのです。 どういうことかというと「ある一定時間 (人生) の中で自分がやるべき宿題を抱えて『敢えて』やって来ている世界」ということです。 その宿題は夏休みの期間中 (生きてる間)どういうやり方をしても構いません。 ただ、休みが終わった時 (亡くなった時) に提出しなくちゃなりません。 簡単に言えばこの世は何らかの課題を果たすための勉強部屋みたいなものじゃないでしょうか。 そう捉えると何だかしっくりくるのです。 とはいえ厳密にいえば「人は生まれ変わらない」と個人的には思っています。 じゃあ、死んだらそれで終わりかといえ

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  • 自己洗脳と心のクセ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    例えばある場所に行ったら何だか臭かったとします。 そうしたら、どうして臭いのか考えますよね? 「先ず体感的に臭いと感じる→その臭い理由は何だろう?と考える」という順番です。 でも、その時一緒にいる人から「いやいや、このニオイは別に臭いものなどではないよ。臭いと感じるのは貴方が物事の道理を弁えていないからだ!」などと言われたらどうでしょうか? この場合相手は「そのニオイは臭いものではないとするのが論理的に正しい→臭いと感じる体感の方が間違っている」という順番で捉えているということになります。 貴方は多分「そんなバカな理屈があるか! 臭いものはどう考えようと (感覚として) 臭いだろうよ!」と思うでしょう。 でも、世の中には「『真理』としては臭いはずがないのだから、臭いと感じている人間の『感覚』の方がオカシイのだ!」というような物事の捉え方をする人が案外少なくありません。 そういう人々はまず先

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  • 「死んだら全部チャラになる」って心の在り方と因果のツケ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    別に若年層の人々が老年層の人間を批判すること自体に問題があるとは思いません。 今の世の中を作ったのは、良くも悪くも「長く生きてる側の人間」なのですから。 ただ、その批判の多くが老年層の『やり逃げ』を糾弾するっていう『カタチ』であるところには引っかかるのです。 「自分らは好き放題やって良いめを見たまま、この世とオサラバ出来て良いよな💢」って感じの想いが言わなくてもプンプン臭うからです。 「死んだら全部お終い! どんな狡いことをやってもチャラになる」って唯物論的考えが老年層・若年層双方の心の根底に染み込んでいるのではないかと感じられます。 それが老年層の「やり逃げ上等! ごまかし万歳!」って在り方に対する若年層の強い憤りに繋がってるんじゃないでしょうか? もし今老年層を叩いてる若い人たちの中にも「やり逃げ上等!」って考え方があるのだとすれば、自らが年老いた時に今自分たちが叩いてる老人と似たよ

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  • 神社という器に存在する様々なエネルギー - 『クリアー整体ヒーリング』です

    そもそも神社仏閣にはカミサマが居るから悪いモノは近付かないと思ってる人もいらっしゃるかも知れません。 ていうか神社巡り大好き系のスピリチュアルな人々は無邪気にそう信じてる人が大多数のような気もします。 でも、ハッキリ言って神社仏閣にいるエネルギーってのは玉石混淆です。 簡単にいえば清らかなモノもいれば穢れたモノもいます。 特に大きな神社とかは殿のものとは違う社を敷地の中にいくつも祀ってたりしますしね。 鬼が出るか蛇が出るか、何が出てくるかなんて分からない状態です。 それに、そういう場所にいるチカラの強い人外のモノはカミサマ的に崇められていることが少なくありません。 時にはその勢力範囲が神社仏閣の外まではみ出してることもあります。 カミサマ的に崇められているといっても絶対善のGODみたいな存在とは元々思われてません。 御利益もあるがタタリもある『神様』として祀られてたりするのです。 以前に

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  • 人外のモノに触れすぎると魂が根腐れすることもあります - 『クリアー整体ヒーリング』です

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカーくドにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 意識的であれ半ば無意識であれ、物の怪のチカラを意図的にかつ継続的に借りている人のことを私は『物の怪使い』と呼んでいます。 単に物の怪に付かれた人ではなく、物の怪の波動に共鳴し同調している人のことです。 簡単にいえば『物の怪使い』とは物の怪のエネルギーとコラボしている人です。 コラボすることでそれぞれが何らかのメリットを得ているのでしょう。 『物の怪使い』について以前

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  • 『受けること』とバランスを取ること - 『クリアー整体ヒーリング』です

    まだ整体を習っていた頃「腕の良い整体師ほどあまり長生き出来ない。何故ならそれだけ多くのお客さんからたくさんの『良からぬモノ』を受けてしまうからだ」という話を聞いたことがあります。 今から考えればその『良からぬモノ』とは波動のレベルの低いあれやこれやのエネルギーのことだと思います。 それを他人と身体的な接触することでもらってしまうのが所謂『受ける』ということです。 『受ける』という言葉からはそれこそ『良からぬモノ』というイメージを受けるかもしれませんが、『身体的な接触によるエネルギー的な影響』全般のことです。 身体的な接触が多ければ多いほど良くも悪くもエネルギー的な『交流』を増幅しやすいということを表しています。 触る相手が人間ではなくてもエネルギーの交流を増幅しやすいことには変わりがありません。 犬やなどの生き物はもちろん無生物であっても触れば触るほどエネルギーの交流は大きくなる傾向にあ

    『受けること』とバランスを取ること - 『クリアー整体ヒーリング』です