ブックマーク / orion12.hatenablog.com (589)

  • 心の風通しを良くしないといけないワケ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    コダワリとは「何かをギュッと握りしめて或る一点に留まり続けようとする心の働き」です。 しかし、無理に動かないように一点に踏ん張れば、遅かれ早かれ心は澱んでいきます。 動かなければ動かないほど心の風通しが悪くなるからです。 森羅万象すべてのモノには波動があります。 「波動がある」というのは「ずっと動き続けている」ということです。 すべてのモノはずっと動き続けることでその活性を保っています。 当然ながら動きが鈍くなればなるほど活性は落ちるのです。 それをここでは『波動的に風通しの悪い状態』と呼んでいます。 波動的に風通しが悪い状態になると心の風通しも悪くなります。 それは、「心がドヨヨンとしてスッキリしない雨降り前の曇天のような状態になる」ってことです。 ただ、動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを適宜に修正しながら、この世を動き続けるのが

    心の風通しを良くしないといけないワケ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 心が『振り切れた正義マン』になると誰かを悪気なく傷つけることになる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。 そのことを認識できていない人が最近増えてきたように感じます。 それは自分の「正しい!」を無邪気に人に押し付ける人を見かけることが増えたからです。 ここでいう「そのこと」ってのは、万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないってことについてです。 「そのこと」認識できてない人は「万人が納得するような正しい!がきっとどこかにあるはずだ」と信じているのでしょう。 だからこそ、自分が正しいと思うことを他人に強引に押し付けても悪気がないのです。 ただ、それはチカラを相手に行使

    心が『振り切れた正義マン』になると誰かを悪気なく傷つけることになる - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 仮定盛りとフワフワした万能感 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「これはそうに違いない!」という思い込みを土台にして、「これがそうなら、やがて必ずこうなっていくはずだ!」という風に、仮定の話をまるで『ブレない真実』のように盛り付けていくやり方を表す言葉です。 で、そうやって盛り付けた仮定の話は、直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に新たなる仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションなんですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、根拠のないことを盛りつけることより『自分がどこまで話を盛っているのか、ご人さえ分別出来なくなること」です。 話を盛ってる意識が薄くなっていくなくなるのでし

    仮定盛りとフワフワした万能感 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 物の怪でもオニでも神でもないモノ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    この世界では膨大な数の思念が一カ所に集まり凝縮することによって新たな別のエネルギー体を生み出すということが実際にあり得るのです。 例えば強烈な怨みのエネルギーがたくさん結び付けば『怨みの精霊』のような新たなエネルギー体に生まれ変わります。 あたかもポイントカードにポイントがMAXに貯まって何か新しい賞品に変わるように… 私はそれを『物の怪』と呼んでいます。 まあ、一般的な言葉で言えば自然霊というのが一番近いのかも知れません。 もっと簡単に言えば、元々この世に生きていて、死によって肉体を失くした者を幽霊とするならば、端から肉体を持っていない人外の存在が物の怪というモノです。 で、元々肉体を持っていないモノは所謂物の怪だけではありません。 「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世の中全部気に

    物の怪でもオニでも神でもないモノ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「どうやったら成仏できるか?」本当の答えを知る者はいない - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ヒーリングなんてことをしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは決して珍しくありません。 珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね… 所謂『成仏』してないヒトの多くが生きていた時の刷り込みとそれに基づく条件反射でほぼ動いているようにお見受けします。 「死んだらお墓に行かなくちゃ!」とか「仏壇に居なくちゃ!」とかいう想いでズルズルと動くのです。 『線香の煙』や『読経の声』にも亡くなられた方は反応して寄って来ます。 そういうモノによって「自分も成仏出来るはずだ!」という生前の刷り込みの結果なのかなと感じます。 あと、自分が亡くなったこと自体分かってない人も大勢いらっしゃいます。 そういう人はあちこちの道端などにぼーっと立ってたりします。 いわゆる『地縛霊』ってヤツです。 当は場所に縛られてるわけではなく、ご自分が死んだことを認識出来ないので動けないのだと思います。 ことほ

    「どうやったら成仏できるか?」本当の答えを知る者はいない - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 『操れる系』と『操られたい系』の共依存 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    「全部とはいかないけど、このよのかなりの部分はテクニカルに操れるんじゃないか!」と考えている人って世の中には少なからずいらっしゃるようにお見受けします。 そういう人々の心の奥底には「やり方さえ間違わなければ人間なんて簡単に操作出来る! チョロいもんだ!」っていう想いがあるのでしょう。 その手のメンタリティを持つ人をごく個人的に『操れる系の人』と呼んでいます。 何故「チョロいもんだ!」と思ってるかというと、過去に人を操ることが出来た成功体験を『経験値』として持っているからです。 簡単にいえば、操ることに一度ならず何度も成功したので、人間なり世界なりをナメ切ってるんですよね… 例えば目端の利く女の子なら早いうちから『男』の方から手を貸させる手練手管とかを覚えたりするものです。 良くも悪くも『生きるための知恵』としてね。 そういう経験を積み重ねて所謂『世渡り上手』になった女性は若いうちから「世の

    『操れる系』と『操られたい系』の共依存 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • マヤカシの確信としての魔境 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    眼に見えない世界の情報というのは現実に裏付けが取れないことがほとんどです。 だから、いくら物っぽく感じたとしても眉に唾をつけて3割引きくらいで捉えたぐらいでちょうどいいのです。 この『3割引きの視点』というのは物事を俯瞰的に観るためには結構役に立ちます。 物事にのめり込んでしまわないようにする一つの目安となるからです。 世の中白黒ハッキリした所謂『正解』が、いつでもどこでも用意されているなんてことはないのです。 薄ぼんやりとした曖昧さの中を「これが多分答えかな?」というモノを探しながら進んでいくしかないのがこの世界です。 元からそういうモノなのです。 ただ、スピリチュアル系や自己啓発系の主な目的は、「世界は自分の為にある!」と思えるほどの『万能感』や「自分に出来ないことなんてない!」と感じられるほどの『高揚感』等を手に入れることのようにお見受けします。 要はスカッとした単純明快な答えが明

    マヤカシの確信としての魔境 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 仮定盛りとマウンティングは親和性が高い - 『クリアー整体ヒーリング』です

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… 思い込みと決めつけのコラボはやがてイリュージョンへと成長していきます。 そのイリュージョンは成長を続ければ、映画マトリックスに出でくるような物と見紛うばかりの『仮想現実』にまで盛り上がります。(その人にとってはですが) で、この仮定盛りに

    仮定盛りとマウンティングは親和性が高い - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 運命は巡る因果のルーレット - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があれば、そこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は『運』といいます。 つまり、『運』とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。 それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な「世界というパズル」のささやかなワンピースに過ぎないからです。 もっと言えば古今東西世界で起こった出来事の全ても時空を跨ぐ途轍もなく巨大なジグソーパズルの一欠片として存在しているってことです。 一人の人間の『運』というのもまたそ

    運命は巡る因果のルーレット - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • ブレない自分とブレる軸 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間誰しも間違うこともあるし、勘違いしてしまうこともあります。 「それがあって当然だろう」という前提に立ってるくらいでちょうどバランスが取れるんじゃないでしょうか。 最近はよく「自分に『ブレない軸』だの『中心』だのを持ちなさい」って方がいらっしゃいます。 でもね、そういう軸やら中心やらにもコペルニクス的な転回っていうのが容赦なく起こるかも知れません。 少なくとも起こる可能性はどんな時もゼロじゃないのです。 ゼロじゃないって前提で考えていかないとかえって心は迷います。 逆にいえば「100%手放しで信じ込むのは、危険だ」ってことです。 それがどんなに「自分にとって生き方の核心となるような大切な部分であったとしても」です。 実証性を求めるというか、簡単にいえば『バランス感覚のある疑り深さ』も必要ってことです。 もっといえば『正しい!』のブラックボックスを自分の中に可能な限り作らないようにすること

    ブレない自分とブレる軸 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 予言と「最初から決めらた未来はない」という話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるというお話があります。 「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた」という所謂一つの楽園伝説です。 つまり、そこには「神に造られた原初の人間は何の苦しみもない世界で当たり前に生きていた」という考え方が根底にあるわけです。 しかし、結局「人間の邪まな行いが神の怒りをかい、 初めに暮らしていた楽園を失い、苦しみと短い寿命の今の世界に住むようになった」という結末に落ち着くのです。 この筋書き通りなら遥か昔ですが、この世には一度楽園があったってことになります。 だからこそ楽園伝説を信じる人の心の何処かには「人間は元々ラッキでーハッピーな状態がデフォルト (常態)なのだ」という想いがずっとあるのだと思います。 そして、「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた。だから、やり方次第でその楽園を取り戻

    予言と「最初から決めらた未来はない」という話 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 天国と地獄とこの世 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    『この世』という場所は、言ってみれば学校の夏休みのような世界だと思うのです。 それは「人生という限られた時空間の中に、自分がやるべき宿題を抱えて敢えてやって来ている世界である」という意味です。 その宿題に対して、どういう取り組み方をしようとそれぞれのまったくの自由です。 ただ、亡くなった後に例外なく提出が求められます。 そして、提出してもちゃんと出来てなければ『繰り越し』になります。 リセットされて無かったことになるなんてことはないのです。 なので、この「夏休みの宿題」が出来なかった人が繰り越しの課題に挑戦し直すのが所謂一つの生まれ変わりだと思われます。 もしそうだとしたら、どんな偉人聖人でもこの世に生まれてきてる時点で「お前はすでに落第してる!」ってことなのです。 とはいえ厳密にいえば「人は生まれ変わらない」と個人的には思っています。 じゃあ、死んだらそれで終わりかといえばそうではなくて

    天国と地獄とこの世 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 欲望の暴走とサトリという見果てぬ夢 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    この世というのは『物』がある世界です。 「生きている」というのは、肉体という『物』とともにこの世に存在し続けるということです。 で、肉体があるということはこの世にある限り自分の肉体を維持する必要に常に迫られているということでもあります。 生命を維持するために能があり、その能を継続するために欲望が与えられているのです。 なので、欲望という存在は善でもなければ悪でもありません。 それはこの世に生存するために与えられた『必要な条件』であり、元から倫理的な事柄ではないのです。 欲望は常に『プラス方向』へ向かうものです。 「もっと美味いものをたくさんべたい!」 「もっと金持ちになりたい!」 「もっと出世して権力が持ちたい!」 この「もっと! もっと!」という意味での『プラス方向』へです。 ただし、この「もっと! もっと!」機能が最初から通常装備されている欲望ってやつは、それ故に暴走しやすいので

    欲望の暴走とサトリという見果てぬ夢 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「魔境にハマって浮かれる」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    スピリチュアル好きな人の多くが大なり小なり劇的な覚醒経験みたいなモノを望んでいるんじゃないでしょうか? 神秘体験をして万能感を得たいっていう気持ちが心の何処かにあるってことです。 まぁ、でもねそれって一歩間違えれば危険なマヤカシに呑み込まれる端緒になりかねません。 それが「『魔境』って呼ばれるファンタジー世界の入り口にわざわざ首を突っ込んで覗き込んでいる状態」なのは確かです。 主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。しかも、人はその事に気付いていないという部分が何より大きいと思われる。 例によって例の

    「魔境にハマって浮かれる」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 生きることのハードルと純度100%の完璧さ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ぶっちゃけた話いまの世の中生きることのハードルを上げすぎな気がします。 それは個人的にも社会的にも「純度100%の完璧さ』みたいなモノをみんなが求めすぎてるってことです。 だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日人 (或いは人間) は驚くほど劣化してしまった!」とかおっしゃって嘆かれるのです。 「そんなにハードル上げたら、そりゃ色んなことにガッカリして当然だろうな」と感じます。 人間というモノに対する期待値があまりに高すぎるのです。 人間に対する期待値を上げるってことは、自分に対する期待値を上げてるということでもあります。 自分に対して『純度100%の完璧さ』を求め続ければ、そりゃ生きづらくもなりますよねぇ。 それでも世の中には、生きることのハードルを上げるのに熱心な人々は数限りなくいらっしゃいますが、その反対を目指す人はあまりお見受けしません。 それだけ「純度100%

    生きることのハードルと純度100%の完璧さ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 曖昧な世界と分かりやすい答えを求めるココロ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。 この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。 これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。 「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。 で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると心に誓って物事に当たれば、どんなことでも出来ないことはない。」という前提からの「出来ないのは出来ない奴が悪いのだ」という考え方のことです。 つまり、「やり方さえ間違わなければ何でも

    曖昧な世界と分かりやすい答えを求めるココロ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 人を見る目と「天狗になる」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    以前『霊能者を見極める一番簡単な方法』ってタイトルて記事を書いたことがあります。 まあ、霊能者に限らず、例によって例のごとく独断と偏見による『人の見方』みたいなモノですけどね。 その方法は、霊能者にありがちな特徴の有無を観察するってことです。 その特徴が何かというと、所謂『万能感』についてです。 例えば「自分は霊界の真実を全てまるっと知っている! 」とか 「自分は他に類を見ない超絶的な霊能力を持っているから、どんな強力な悪霊でも完璧に消し去ってみせる!」とか 「〇〇神社の神様とはマブダチみたいな対等な立場で親しくしている!」とか 「金色の巨大な龍がオレのバックにはついている!」とか そんな感じの『万能感』に支配されてる人が霊能者には多い気がします。 以上の「」内の文章は、「こんな感じのこと語っている人がいたなぁ」と思いながら私が作文したモノです。 架空の作文ではありますが、実際に似たような

    人を見る目と「天狗になる」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • エネルギーの交わるところにはナニカが起こりやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です

    それぞれの土地には長年かけて出来上がった場の波動というのがあります。 場の波動はその土地の地形によって起こるエネルギーの流れやそこで過去に起こった出来事に由来するエネルギーなどが複合的に絡み合って出来上がっています。 その要素の一つとして道というのもあります。 道というのは『現実にある道路のこと』であるとともに『エネルギーの通る道のこと』です。 っていうかその2つはリンクしていることが結構多いのです。 道を通るのは人や自動車だけではありません。 眼に見えないモノも通っていきます。 幹線道路のように交通量が多い場所なら尚更です。 そこを流れていく人や自動車などが多いほど基エネルギーも増えていきます。 人や自動車が様々なエネルギーを引き連れてくるからです。 しかも、エネルギーの流れが2つ以上交わるなら何らかの作用を起こす可能性はより高くなります。 高速道路でいえばインターチェンジやジャンクシ

    エネルギーの交わるところにはナニカが起こりやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 心のリミッターは大切です - 『クリアー整体ヒーリング』です

    苦しいことを苦しくない、嫌なことを嫌じゃないと自分自身に感じさせることでネガティヴな状況を緩和しようとする自律的な機能が人間には標準装備されています。 いわば『ランナーズハイ』的な機能です。 この機能は何かとんでもない緊急事態に心が遭遇した時などにはリミッターを一時的に外します。 人生にはノーマルな心の反応だけではとても乗り切れない場面も少なからずありますので。 そうすると普通では出せないような『火事場のバカヂカラ』的なチカラが出せるようになります。 リミッターによって制限されてた以上のチカラが身体にも心にも出るってことです。 それで、苦境を脱することが出来たりもします。 しかし、非常時には有難いリミッターを外す機能も平常時に働きっぱなしだとそのうち困ったことになります。 困ったことってのは、下り坂の道でノーブレーキで目一杯自転車をこいでるような状態になるってことです。 そんな状態で動いて

    心のリミッターは大切です - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 宿命論とはちっぽけな『個人』が見る幻想です - 『クリアー整体ヒーリング』です

    このブログではこれまで『根性論』というものについて度々言及してきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。 で、この根性論の仲間に『自己責任論』というのがあります。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると心に誓って物事に当たれば、どんなことでも出来ないことはない。」という前提からの「出来ないのは出来ない奴が悪いのだ!」という考え方のことです。 つまり、「やり方さえ間違わずに努力すれば何でも出来るのが当たり前!」という発想なのです。 この「何でも出来て当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だ」とベーシックに捉えてることを意味します。 ここでいう『予定調和の世界』というのは「この世界では何時でも何処でも誰にでも分かりやすく辻褄ってのは合うものだ」という考え方のことです

    宿命論とはちっぽけな『個人』が見る幻想です - 『クリアー整体ヒーリング』です