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2012年5月28日のブックマーク (2件)

  • DQNの教育問題について、またはわたしもDQNであるということ - はてなの鴨澤

    親子間での扶養や援助の問題がいろいろ話題に登るようになった。伝統的な日の価値観ではどうこう、と言われているが、基的に「忠孝」というやつは弱者を保護せず、自由を増やさず、不幸を防止しない。 親子の絆は美しいが、親子をあまり強く関連付けないほうがいい。これは社会システム的にもそうだし、個人の意識としてもそうだ。個人を単位に考えたほうがずっと良い。 不幸の多くは人間関係、特に親子を引き離せないからこそ起きる。一番大きいと思うのが教育の問題だ。 99年に交通事故で3ヶ月近く入院したことがある。整形外科病棟というのは交通事故とヘルニアと老人が三大勢力で、交通事故はバイクが大部分。このため他の病棟に比べ平均年齢が低く、雰囲気も明るめだ。オレはそこで長期入院中の高校生に九九を教えたことをきっかけに、そういう家庭の教育問題を考え始めた。そして信じられないほどたくさんの家庭が、「知」というものとまったく

    DQNの教育問題について、またはわたしもDQNであるということ - はてなの鴨澤
  • 「努力」とはなにか: 極東ブログ

    「努力」とはなにか、について考えたら、文字認識のゲシュタルト崩壊じゃないけど、意味のゲシュタルト崩壊を起こして、えっ?えっ?、「努力」って何? 意味わかんねー状態になってきた。 「努力」とはなにか? なんて考えるのが間違いの元だというのは、わかっているんだが、気になるとダメ、もう。 話のきっかけは、これ、「「努力できる人」は脳が違う」(参照)というワイヤードの記事。へえと思った。そう思う人も多いんじゃないか。ネット界のゴミ箱とも呼ばれアルファーブロガーなら閲覧禁止指定がデフォでしょとされるブコメを覗くと予想通り、たんまりいついている(参照)。 私はというと、いや頭を抱えて、そして冒頭のゲシュタルト崩壊に至った。ちょっと説明させてくれ。 記事の冒頭を引用するから、読んで味噌。 退屈な作業をやりとげようとする意欲の強い人と、途中であきらめてしまう人がいる。彼らの「脳の違い」を明らかにする研究