執筆者プロフィール 日本には全国いたるところに孫文の逸話が残っている。 たとえば横浜──。京浜急行線の京急富岡駅の近くにある慶珊寺には、「孫文先生上陸之地」と書いた記念碑がある。中華街のある横浜山下町には、華僑の支援者たちが孫文を匿った住居や店舗として、横浜市中区山下町五十二番地、同百二十一番地、同百五十六番地など七、八カ所も記録に残されている。 たとえば長崎──。熱烈な支援者だった鈴木天眼の創刊した「東洋日の出新聞」跡地に「孫文先生故縁之地」の記念碑がある。一九一三年に孫文が寄港した際、「東洋日の出新聞」は連日孫文の動向を報道したという。料亭花月で孫文のおつきの日本人たちが遊興し、酒の飲めない孫文は隣接する鹿島屋で静かに昼食をとったという話も面白い。華僑の集会所である福建会館には、上海市から寄贈された孫文の銅像が立つ。長崎は、孫文の絶大な資金援助者であった梅屋庄吉の出身地でもある。