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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/tatsu2 (3)

  • 京都アニメーションはなぜ回すのか? 「さすがの猿飛」をみよ! - subculic

    最初に断っておくと、これはトンデモ理論の類かもしれない。資料も少なく、証言も取れていない。「もし、そうだったら面白いな」というレベルの小話だ。さて、つきましては京都アニメーション。よく回す。どうしてだか回転大好き。『けいおん!!』『日常』『中二病でも恋がしたい!戀』それぞれのオープニングで回しているし、『エンドレスエイト』でも回転のモチーフが取り入れられていた。主犯は取締役・石原立也。そこで下記の記事を参照して欲しい。「中二病でも恋がしたい!戀」OPの回転カット「だって昔のアニメとかって背景とかも、引いたりぐるぐる回したりとかしながらキャラクターがぐるぐる回り込みで走ったりしてましたよ」と石原さんは話されているが、これはいわゆる「作画回り込み」を指しているのだろう。「作画回り込み」とは、カメラワークに合わせて背景まですべて作画で描く高カロリーのアニメート(細かく分類すれば、全背動回り込みと

    京都アニメーションはなぜ回すのか? 「さすがの猿飛」をみよ! - subculic
  • 「ガールズ&パンツァー」が行ったイメージへの奇襲 - subculic

    名著である「定 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」で語られた、ある印象的な言葉を思い出してしまった。自分の求めていたイメージと寸分たがわぬイメージを生み出すことこそ、映画作家の夢だ。そこに、どんな妥協があってもならない。イメージの想像に厳密さを欠いているために、いい加減な映画ができてしまう。映像(イメージ)は映るものでなく、つくるものだ。水島努監督は『ガールズ&パンツァー』最終話の絵コンテを描き上げたとき、どんなイメージをしていたのだろうか。待たされた11話で高まった期待をものの見事に越えてくれた。去年の雪辱を晴らすべく立ちはだかる黒森峰にチーム一丸となってぶつかり、みんな主役なんだと言わんばかりの見せ場につぐ見せ場。可愛い作戦名とは裏腹に、徹底的な考証と妥協なき映像作りを重ねたと思わせる戦車戦アニメーション。ただ「凄いものを観ている」としか表現できない心境の中、持続する臨場感、息もつ

  • 「特攻の拓」的な「アクセル・ワールド」の構造 - subculic

    アニメーションアニメになってからというもの、『特攻の拓』を読んでいる気分で『アクセル・ワールド』を楽しんでいます。ヤンキーの抗争劇と近未来サイバー格闘ゲームというジャンルの違いはあれど、類似点は多い。一定の領地(縄張り)を定め、自勢力を保ち、ちょっかいだしてくる相手を倒す基的行動理念。主人公は何も知らないが無二とも言える才能を持ち、“有名人”との邂逅によって徐々に名前が売れて行く。重ねて、《スピードの向こう側》という共通する目的意識。彼らにとって喧嘩の強さ、怪物的なタフネスと同等かそれ以上に、バイクのライディングテクニックと速さは「ドエレー」ものであり、先にある世界に辿り着いた人間は伝説となる。『アクセル・ワールド』に置いても、《加速》の先にある世界に何があるのか知りたいと宣言されており、加速の優位性・絶対性を保つことは、デュエルアバターのレベルを上げるよりも重要な目的である。チーム戦の

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