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ブックマーク / osakaeco.hatenablog.com (2)

  • 選別の手段としての学問と科学 - 痴呆でいいもん

    学校の教師だから思うのかもしれないが、日教育制度がそのままのうちは、疑似科学問題は起りつづけるように感じる。教育、学問、科学といったものは、日人の大半にとって、その内容以前に選別される経験である。私や私の同僚の大学の教師もふくめて、日人のほとんどは自分の学歴になんらかのコンプレックスを抱いている。たとえ、東大卒であっても、自分にとっての値打なりアイデンティティが東大卒であることだけによっているなら、それもある意味で学歴コンプレックスである。そうしたコンプレックスとまるで無関係に科学や学問とつきあうことは、とてもむずかしいはずだ。 私は海外の事情にうといが、すくなくとも、(1)日の中学以降の教育が事実上、一部の平均以上の学力もつ人間をのぞけば、選別の手段でしかないことと、(2)一発の入学試験という学力の測定手段としては、きわめていいかげんな手段によって、選別が実行されていることは日

    選別の手段としての学問と科学 - 痴呆でいいもん
  • いそがしくて、松尾さんの新著をきちんと読めてない。 - 痴呆でいいもん

    というわけで、今日はリンクだけ。えーと、メールボックス(リアルもEメールも)を放置していたので、無視してたわけではありません。ごめんなさい。 不況は人災です! みんなで元気になる経済学・入門(双書Zero) 作者: 松尾匡出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2010/07/07メディア: 単行購入: 17人 クリック: 479回この商品を含むブログ (22件) を見る そういうわけで、この前、経済学史学会であったとき、つけたいちゃもん。松尾さんはケインズ体系での失業が価格伸縮性がみたされたもとで起ることを強調すんのは、いいけど、価格硬直性を仮定するのに『経済学史』でいやみたっぷりなんはどうやねん。価格伸縮的か硬直的かは実証で明かにすべきで、伸縮的でいえるから、硬直性を仮定するのにイヤミいうのはどうなんだろうか。 対話でわかる 痛快明解 経済学史 作者: 松尾匡出版社/メーカー: 日経B

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