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ブックマーク / katokitiz.hatenablog.com (2)

  • 『天体観測』の歌詞を分析するその2 - シン・くりごはんが嫌い

    これの続き。 ネットでよく出て来る解釈を突き詰めると矛盾が生じるというのが前回までだったので、ここで時間軸も行動も入り乱れている歌詞から、客観的に起こっている『天体観測』の状況を書いてみる事にする。ここでは『僕』と「君」が一体何者なのか?という事には触れず、1つのキャラとして、書いていくにする。 1番:午前二時に「君」と二人で天体観測をしに行く。深い闇に飲まれないように精一杯なのは「君」であり、その手を握ろうとしたけど、握れなかったのは『僕』。行動として起こってるのは、フミキリ(またはその近く)で『僕』と「君」が天体観測をして、予報外れの雨に打たれて、静寂と暗闇の中を帰る←何故帰るのかは後述。この時に、暗闇と予報外れの雨が“痛み”になってるのは「君」で、『僕』もその「君」の手を握れなかった事を“痛み”としている(両者に“痛み”が発生、ここでの痛みはメタファー。「君」の“痛み”は闇への恐れと

    『天体観測』の歌詞を分析するその2 - シン・くりごはんが嫌い
  • 『天体観測』の歌詞を分析するその1 - シン・くりごはんが嫌い

    BUMP OF CHICKENの『天体観測』という曲が好きである。 最高傑作というのは人によって様々だろうが、彼らの代表曲であることに異論はないだろう。BUMP OF CHICKENを世に知らしめるきっかけになった大傑作で、かくいう私もシングルを買い、何度も何度も聴いている。 ただ『天体観測』はBUMP OF CHICKENの代表作であるにも関わらず、かなり異質な曲である。なぜかというと、歌詞の内容についての解釈が手んでバラバラで、“離ればなれになった幼なじみへの曲”という人もいれば、“僕と君のラブソング”だという人もいる。藤原基央人も歌詞について言及することは少なく、ロッキン・オン・ジャパンでも全レビューの対象になったが、結局なにもわからずじまいだった。 『天体観測』という曲がこれほどまでに人々を魅了するのは、「笑顔を持ってくるラフ・メイカー」や「痛みの塔に登る王様気分の男」や「夢の先

    『天体観測』の歌詞を分析するその1 - シン・くりごはんが嫌い
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