「泡沫候補」たちの有害な選挙運動が都知事選結果を左右することはないが、それ自体が民主主義の危機を表していて、無視しあるいは笑っているだけでは済まない。 以前なら都知事選の泡沫候補を楽しむ文化みたいなものも成り立ったし、そういう祝祭感があっていいという見方もあり得たのだけど、SNS、YouTubeとネット選挙解禁で明らかに変質したよね。今回は特に酷すぎる。本気の泡沫候補が選挙に好影響を与えることもあり、安易に規制もできないが公論は必須。 ※暇空の立候補を巡っては以下のリンクから「6月20日追記」以降を見て欲しい。以下の議論の補足になる。 「妄想の奴隷」暇空らの暴走(6月26日追記)|Masanobu Usami (note.com) 表現の自由も政治的な表現の自由も無制約ではないし、ましてや加害の自由ではない。選挙ポスターであれば子ども虐待もセクシュアル・ハラスメントも許されるなんてことはな