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ブックマーク / kkumata.hatenablog.com (1)

  • 雛型・楢蔵ー天理教と暴力団員の更生ー - 熊田一雄の日記

    天理教の一番教会である郡山大教会の初代教会長・平野楢蔵(1843年-1907年)は、「恩地楢」と河内・大和の国中一帯で一目置かれていた「やくざ」の大親分であった。1920年(大正9年)出版の、平野楢蔵の伝記を含んでいる「道すがら」(天理教郡山大教会(編)『道すがら』郡山大教会、1920年)には、「それが事の善悪に拘わらず苟も事実の真相は出来る丈け赤裸々に書くように書く事に努め、大抵の出来事は之を漏らさぬように注意しました」(同上、p3)というだけあって、教団の初期の雰囲気が、迫力をもって描かれている。 やくざ時代の平野楢蔵の悪行についても、「こんな(熊田註;喧嘩の)場合に幾人の人命が彼の不当な欲望の犠牲になって居るかわからない。」(同上、p9)と正直に書かれている。「重い神経病」(幻覚と幻聴)を経て、教祖に「ない命を助けられ」やくざ稼業からきれいに足を洗い信心に打ち込むようになってからも、

    雛型・楢蔵ー天理教と暴力団員の更生ー - 熊田一雄の日記
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