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ブックマーク / satomies.hatenadiary.com (3)

  • コンビニでゲロ吐いてたの、小さい子が - リツエアクベバ

    あかいくるまにガキ二人を乗せて大手スーパーに。息子が明日から部活の合宿なので、細々とした買い忘れたものを買いに。 で、ふと「あそこ、左折するぞ」と。いや急にその角を曲がると「サンジャポ商品を売ってるコンビニ」があったな、と。あの変な宣伝のポテトを買って行こうぜと。 コンビニ入って、商品にべたべたと印刷された変な宣伝写真を見ながら息子ときゃーきゃー言ってて。娘もケラケラ笑ってて。そのとき、店の向こうの隅で、じゃばじゃばと液体が一気に流れる音がした。 小さい男の子が、じゃばじゃばと一気にゲロを吐いてた。慌てる母親。あの調子だとまた来るぞ、と思ったら、再度じゃーっと吐いた。 「すみません、子どもが吐いてしまいました」と母親が店の人に言う。様子をうかがいながら、店の人に言った時点でこれは出る幕ではないな、と判断しようとしてたんだけど。 「ゴム手袋じゃない? 必要なの」「モップを出さなきゃねえ」と。

    コンビニでゲロ吐いてたの、小さい子が - リツエアクベバ
  • S:今日の一言 - 小学生が編み出した哲学

    以下、わたしが小学生のときに編み出した哲学。その後の人生の思考の中で、実は核になっている要素が高いもの。思考していたときの情景から察するに、高学年の年齢以前。つまり「10代」前。 世界は続く 自分を取り巻くこの世界というもの。これは実在しているものなのか。実は昨日までの記憶というものは、「お話」によくくっついているストーリー設定で、それが記憶として埋め込まれているだけなのではないか。昨日と今日。世界は当に続いているのか。 実験。夜、いくつかのものを居間のテーブルにセットする。翌日、「自分の記憶」と「現実の状態」を比較する。 違う。おかしい、と思う。世界は続かず、ストーリー設定の範疇に誤差が生まれているのではないか、と思う。(真相→母親が片づけているだけ) 何度か実験。誤差が生まれるときと生まれないときがある。実証できる実験ではない。 膝小僧をすりむいたときに、はたと思いつく。すりむいたケ

    S:今日の一言 - 小学生が編み出した哲学
  • 音読プレイ - リツエアクベバ

    友人(♂)がブログを開設することになった。電話でやり取りしながら、ブログに関しておおまかなことを教える展開に。ちなみにこの友人、わたしがブログ持ちだということは知っているが、当のブログのアドレスを教えていなかったという背景。 RSSリーダーというもの、手っ取り早く「見せる」ために、わたしのはてなのリーダーを開かせる。わたしのはてなのリーダー、最初に開くところにgooのブログが入ってる。展開として自分のがまずトップで目に入る。 友人そこを開いてすぐに「『Sじょうのぴーしーにっき』、なんだ?」、「あ、それわたしんとこだから、gooの」。 (うるさいな、うるさいな、ブログタイトル音読すんなこら。こっぱずかしいじゃないか、あたふた…) はてなで作ることになったので、わたしのはてダを見せる。 友人そこを開いてすぐに「『おっとがはつねつ』『あらあたたかい』」。 (うるさいな、うるさいな、ブログ文音読

    音読プレイ - リツエアクベバ
    kuzumoti13
    kuzumoti13 2006/03/18
     あーあーあー非常に分かる。嫌だ、それは。
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