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  • asahi.com(朝日新聞社):津波に耐えた木造100年工法 木材つなぐ金具に工夫 - 社会

    津波でも流されなかった歌津公民館=4月28日、中島写すKES構法のイメージ図  東日大震災の大津波に流されなかった木造の建物があった。建築会社「シェルター」(山形市、資金5千万円)を営む木村一義さん(61)が、「100年たっても大丈夫な木の建築を」と手がけた工法でつくった施設だった。  津波に耐えたのは、宮城県南三陸町の歌津公民館と同県石巻市の北上総合支所。公民館は、周辺の建物のほとんどが流されたなかに、ぽつんと残る。支所はコンクリート部分と比べて、木村さんの工法をつかった木の部分は傷みが小さかったという。  木村さんは大工の4代目として建築を学び、米国留学もした。木材と木材をつなぐ金具の工夫で、木の強さを引き出す「KES構法」と名付けた工法を編み出し、1974年に会社を起こした。  柱の部分、つまり構造体だけの価格は、ふつうの木造より5〜10%高くなる。リフォームの際に導入できる場合

  • 20年来のつらさがほぼ消えたことについて

    学生のころからつい最近まで、僕は生きるというのは基的につらいことだと思っていた。ところが、そのつらさの大部分が簡単に消えてしまったのでこんなこともあるんだという意味で伝えてみたい。長いので興味があったら読んでください。 中学生のころから、いつも体のだるさを感じていた。お腹も弱く、何かあると下痢してばかり。当然元気なんかあるわけなく、高校生のころもあんまり前向きな人間ではなかった。でも頑張ればなんとかなると思える若さもあり、インスタントコーヒーに砂糖をぶちまけて勉強をしたら大学には合格した。大学では典型的な怠惰な学生で、起きるのはデフォルトで午後、授業には半分も出ていないと思う。無気力で今にして思うと状態だった。 何とか卒業してIT系に就職したが、そこでの仕事の仕方も追いたてられてやっているような感じで、いつも綱渡りをしているような気分で全く余裕はなかった。それでも20代のうちはなんとか

    20年来のつらさがほぼ消えたことについて
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