昨日取り上げた本『ちくま文学の森第2巻』に吉野せいさんの『洟をたらした神』も収められている。以前これもやはり旧ブログで感想を書いたが、一語一語研ぎ澄まされ、命を削るようにした書いたかと思われるような、珠玉の名編である。 yonnbaba.hatenablog.com このかぞえ六つの少年ノボルの話『洟をたらした神』は、文末に「昭和5年夏のこと」とある。平成をはさんで、時は今ちょうど令和5年夏である。 「青洟が一本、たえずするするとたれ下がる。ぼろ着物の右袖はびゅっと一こすりするたびに、ばりばりぴかぴかと汚いにかわを塗りつけたようだ。大方ははだしで野山を駆け巡る」、ノボルはそんな子だ。 90年ほどの時を経て、現代のノボルは見えにくくなっている。そしてノボルのような生きる逞しさも失っている。それは子供のせいではない。社会全体に、生きる逞しさが失われてしまったのだ。 90年と書いたが、実は70年
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