いまごろの季節になると、私の生まれた北海道では、どこの家でもストーブに火が入り始める。もう、何十年も前のことだ。近所の家の庭では、薪をさらに細く刻んだたきつけ割りが始まり、それらを物置や家の壁に沿って屋根近くにまで積み上げていく仕事で忙しくなる。 薪割りやたきつけ割りは、大人の男の仕事と決まっているわけではない。鉄道官舎や近くの長屋の母さんたち、子どもたちも手伝って、1週間か10日のうちに作業を終える。 そのあと家々の前にはトラックで石炭が運ばれ、これまた家族総出で炭小屋に石炭を入れ、冬への支度を調えるのである。 昭和30年から40年代、石炭は黒いダイヤといわれ、その断面はまるで高価な飴のように艶めいて光り、子どもの私は何度もそれをペロリと舐めては、母からゲンコツを喰らった。スケゾウ君やシュン君、マナブ君の父さんたちが地下1000メートル以上のところから、命がけで掘ってきた石炭は、町の人間