2019年3月26日のブックマーク (6件)

  • 有力とされた「アルツハイマー病治療薬」の失敗 苦戦が続く認知症薬の開発、今後の見通しは(市川衛) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    3月21日、大手製薬企業「バイオジェン」と「エーザイ」は、開発中のアルツハイマー病治療薬「アデュカヌマブ」の臨床試験を中止すると発表しました。(プレスリリース) 認知症の最大の原因となっているアルツハイマー病には、現在のところ、病気の進行そのものを抑える「根治療薬」は開発されていません。 アデュカヌマブは「こんどこそ第1号になる」と世界中で注目されていたものでした。 というのも、世界で最も権威のある専門誌のひとつ「Nature」に、効果を期待できるデータが報告されていたからです。 アルツハイマー病の原因として疑われているのがアミロイドベータ(Aβ)という物質です。この物質が脳にたまると、神経が傷つき、脳の働きを衰えさせるのではないか?と考えられています(アミロイドベータ仮説)。 2016年にNatureに報告された研究では、アデュカヌマブを使うと、脳にたまったアミロイドベータが減り、しか

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  • 「ノーベル賞がつらかった」田中耕一が初めて明かした16年間の“苦闘” | 文春オンライン

    あと1ヶ月ほどで、「平成」が幕を閉じる。平成とは私たちにとってどのような時代だったのか、さまざまな事件・出来事から激動の30年を見つめる「NHKスペシャル」のシリーズ「平成史スクープドキュメント」。第5回は、平成を彩ったノーベル賞に焦点を当てた。 平成に入って、自然科学系ノーベル賞を受賞したのは18人(アメリカ国籍取得者含む)。その中でも世界を驚かせたのが、2002年(平成14年)にノーベル化学賞を受賞した田中耕一だ。いち民間企業のエンジニア、修士号すら持たない研究者に化学賞が贈られたのは、世界で初めてのことだった。バブル崩壊の後遺症に苦しみ、「失われた20年」と言われた時代。中年サラリーマンの快挙に、日中が沸いた。

    「ノーベル賞がつらかった」田中耕一が初めて明かした16年間の“苦闘” | 文春オンライン
    kyuusyuuzinn
    kyuusyuuzinn 2019/03/26
    人類の歴史上最も高感度かつ高精度に分子量を求める手法を、当時博士号も取ってない一介のサラリーマンが発見したという事実、今考えると本当に驚くべきことだ。
  • 旅客機が行き先間違えた、ドイツ行きのはずがスコットランドに 英

    ブリティッシュ・エアウェイズのドイツ行き便が誤ってスコットランドに到着するハプニングがあった/FABRICE COFFRINI/AFP/Getty Images ロンドン(CNN) 英ロンドンを出発してドイツのデュッセルドルフへ行くはずだったブリティッシュ・エアウェイズの旅客機が25日、行き先を間違えてスコットランドのエディンバラに到着してしまうハプニングがあった。 原因は、誤って提出された飛行計画にあった。操縦士も客室乗務員も、同便がエディンバラ行きだと思っていたという。 この便はドイツのWDLアビエーションが、ブリティッシュ・エアウェイズの子会社BAシティフライヤーから委託されて運航していた。間違った飛行計画はドイツにあるWDLアビエーションのオフィスで提出されていた。 エディンバラに着陸した同便は、再び飛び立ってデュッセルドルフへ向かった。 この便に搭乗していた乗客のジョフィア・ザボ

    旅客機が行き先間違えた、ドイツ行きのはずがスコットランドに 英
  • エーザイ、別の認知症薬に望みつなぐ 最終治験を開始 「アデュカヌマブ」は開発中止 - 日本経済新聞

    エーザイは22日、アルツハイマー型認知症の治療薬候補「BAN2401」について、臨床試験(治験)の最終段階にあたる第3相治験を始めたと発表した。エーザイはこれまで3つの認知症治療薬候補の治験を進めてきたが、21日にはうち1つの治験を中止すると発表した。新薬の実現へ、BAN2401など残る2品の開発を続ける。【関連記事】エーザイ、製品化目前の認知症薬を開発中止エーザイはアルツハイマー型認知症の治

    エーザイ、別の認知症薬に望みつなぐ 最終治験を開始 「アデュカヌマブ」は開発中止 - 日本経済新聞
    kyuusyuuzinn
    kyuusyuuzinn 2019/03/26
    これはもう、Aβを標的にしてもアルツハイマーは治らないんだと神様が言ってるのだと思う。
  • 電車が走り抜ける「日本初」高層ビル誕生 東京・池袋:朝日新聞デジタル

    鉄道の線路をまたぐ「日初」の高層ビルが東京・池袋に誕生する。「ダイヤゲート池袋」で、4月に社を移転させる西武ホールディングス(HD)が25日、報道陣に公開した。オフィスビルの真下を電車が走り抜ける様子は話題になりそうだ。 地上18階建て、高さ約100メートル。14~18階に西武HDやグループ会社が入り、16階の社員堂には西武鉄道でおなじみの黄色い車体やつり革を模したデザインなどが施されている。1~2階は商業施設、4~13階は他社に貸し出す。 西武HDによると、高さ60メートル以上のビルで線路をまたぐ建物はこれまで、駅以外にはなかった。4階の下に中間免震構造を備えることで、十分な安全性を確保したという。後藤高志社長は「オフィスビルのイノベーションになると自負している。鉄道会社にしかできないプロジェクトだ」と話した。 西武HDは4月8日に埼玉県所沢市から新社屋へ社を移転する一方、西武鉄

    電車が走り抜ける「日本初」高層ビル誕生 東京・池袋:朝日新聞デジタル
  • イチロー引退会見で読み取れた、番記者たちの“地獄”と信頼関係。(プチ鹿島)

    記事を書いたデイリーの小林記者はイチローがメジャー1年目の2001年に初めて野球を担当したという。そんなルーキーに当時27歳のイチローは容赦なかったと振り返る。 《「次どうぞ」、「それ、答えなきゃいけないかな」。記者の質問をことごとくはねつける。無言でスルーされる。そこまで厳しくされる理由が分からなかった。》(デイリー・3月22日) それから3年後に初めて単独インタビュー。イチローが求めていたのは「プロフェッショナル」だったことを知る小林記者。 後年、「(あの頃は)地獄でした」とイチローに語ったという。引退を伝える記事の最後は「イチローには感謝の言葉しかない」。 「僕に鍛えられたんだから……」 同じ紙面には「'94年~'97年までオリックス担当」の記者が、 《記者泣かせの選手だった。》 《想定通りにやりとりが進んだことなんてなかった。》 《「学級新聞じゃないんだから」。時に叱られ、呆れられ

    イチロー引退会見で読み取れた、番記者たちの“地獄”と信頼関係。(プチ鹿島)
    kyuusyuuzinn
    kyuusyuuzinn 2019/03/26
    良い話にも見えるが、長年番記者してきて最後の質問があれっていう小林記者もちょっとどうかと思うわ。