自分がとある小説を読んでいるあいだ、テキストから想像していた風景が、視覚メディアにそのまま登場する体験は初めてだ。それをまさかの話題作がハイクオリティで実現していた。 ここに書いてあることはビデオゲームと小説のふたつの作品を通して、歪んだ形である価値観から距離を取りながらも、その価値からは手を切れないことについてである。 (エンディングまでのスポイラー有) かつての“男らしさ”も変わりつつある時代のなかで批判されることも珍しくなくなった。様々な意味で害悪だと見られるそれは、どうすればどろどろとした毒や呪いのような姿が良く見えるのか? フランスの小説家、ミシェル・ウェルベックの作品を読むと、そうした男らしさの価値に捉われたままの男が落ちこぼれ、皮肉に見つめるテキストによって、厭世的な視点で、嫌な形でそれを浮かび上がらせているのがわかる。 「世界の終わりのあと僕は電話ボックスにいる」この言葉で