ブックマーク / note.com/davitrice (3)

  • 京都を歩き尽くすこと|デビット・ライス

    京都といえば「学生の街」というイメージが強いが、言うまでもなく、京都には学生ではない人間も住んでいる。京都に生まれて、ずっと京都に暮らしている人間もいるものだ。そして、京都に生まれて暮らしている若者のなかには京都の大学に行く人も多い。そこで、京都以外の他の地方出身の友人を作ることもあるものだ。 このことにはある種の寂しさがつきまとう。というのも、他の地方出身の友人の大半は、大学を卒業したらもう京都からはいなくなるからだ。京都では東京や大阪のようには企業の数が多くないから、友人たちの多くは卒業したら京都を出て他の都市にある企業に就職することになる(私のまわりでは大阪が多かった)。それか、各々の地元に戻って地方公務員になったりする。多くの人にとって京都はあくまでも学生時代にしか住まない街であり、だからこそ「学生の街」というイメージがついているのだろう。 しかし、繰り返すが、京都にはそこで生れ育

    京都を歩き尽くすこと|デビット・ライス
    l08084
    l08084 2021/02/07
  • 学歴とアイデンティティと批評性|デビット・ライス

    私は京都生まれ京都育ちで、中学高校は私立の中高一貫校ではあるがレベルの低いところに通った。大学は立命館、大学院も同志社といずれも京都の学校である。そのまま28歳まで京都に居続け、2年とちょっと前になってようやく実家を出て上京した。だから、関東の人たちとまともに交流するようになったのもここ数年のことだ。 一部の関東の人たちと話していて気付いたことは、東京では大学ごとの「色」や「風土」などのイメージが関西よりも実体感を持って存在しているということだ。そして、東京の大学に通った人たちのなかには、自分の通った大学のイメージが自分自身のアイデンティティに影響をもたらしている人がけっこうな割合で存在しているようである。つまり、「早稲田はこういう大学だ」「慶應はこういう大学だ」などというイメージが客観的に確立していて、そこを卒業した人は他人から「あの人は早大の卒業生だからこういう人間だ」などと見られるだ

    学歴とアイデンティティと批評性|デビット・ライス
    l08084
    l08084 2020/02/25
  • 三流国家の首都に暮らすことについて|デビット・ライス

    私が京都から東京に引っ越してきたのは、2017年の10月だ。つい最近に引っ越してきたという感覚が未だに消えないが、実際にはすでに2年と数ヶ月経過している。引っ越したのは28歳の頃で、それまでの28年間はずっと京都で生活してきた。 引っ越したきっかけは就職である。24歳の時に修士を卒業した私はそのまましばらく京都でフリーターをしていたのだが、意を決してフルタイムの仕事を目指したときに、東京に移ることにしたのである。京都を出たことにはいくつかの理由がある。まず、実家で家族と暮らすことがあまりに気詰まりになっていて、フルタイムで働くことで家賃が支払えるようになるなら家を出たいということがあった。また、京都という街自体にもあまりに長い間住んでおり、行けるところにはどこにも行き尽くしていたので、閉塞感を感じていた。 移る先を東京に選んだ理由もいくつか存在するが、まずは「仕事の選択肢が多い」という現実

    三流国家の首都に暮らすことについて|デビット・ライス
    l08084
    l08084 2020/02/20
  • 1