哲学者のジョン・サールさんは、人工知能が真の知能を持ちえない理由を、記号論を構成する統語論と意味論を用いて明確にした、非常に強力な論理を展開しています。統語論とは言葉がどのように並べば文になるかを調べることで、意味論とは言葉と世界の在り方の関係を明らかにし意味を作り出すことですが、このサールさんの議論は「中国語の部屋」*01という思考実験としてよく知られています。その議論を支えるロジックとは柴田正良さんによれば次のようなもの*02です。 前提 (1):統語論は意味論を生むには不十分である。 (2):コンピュータのプログラムはその形式的構造、すなわち統語論的構造のみによって完全に定義される。 (3):心は心的内容、とりわけ意味論的内容をもつ。 結論 (4):いかなるプログラムも、それだけではシステムに心を与えるのに不十分である。要するに、プログラムは心ではないし、またそれだけでは心を持つのに
give Jeannine an appleという文章と、 give an apple to Jeannineという文章は 同じ意味になりますよね。 動詞+A+B = 動詞+B+to A という書き替えは、give以外にもsendなど他の動詞でもできます。 こういった例について、たとえばコンピュータにプログラムをかくことを考えると、 giveやsendなどでいちいち別々に give+A+B = give+B+to A send+A+B = send+B+to A … というように、いくつもいくつもプログラムを書くよりも、 動詞+A+B = 動詞+B+to A というプログラムをひとつ作って、それに当てはまる動詞はgive,send,....というリストを作ったほうが効率的ですよね。 従来の文法理論(言語学)では、人間の脳みそのプログラムもそのようになっている(子供はgiveやsendの使い
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