西郷は27歳のとき、第11代薩摩藩主・島津斉彬の側近として初めて江戸へ出て、庭方役(にわかたやく)を命じられます。これは庭の手入れなどをする下っ端の仕事でしたが、藩主の近くに控え、密談がしやすい立場でもあったのです。西郷は、だんだんと重要な仕事をこなし、そこで結果を出し続けることで藩内外での名声を高め、薩摩藩を代表する人物へと成長しました。 当時、薩摩藩は幕府にくみしていました。そのため、長州藩の征伐を命じられた薩摩藩は主力として攻め込みます。征長軍参謀として、その指揮をとった西郷ですが、長州藩を武力討伐することを避け、話し合いで収拾をはかりました。西郷の働きにより、長州藩は家老3名の切腹だけで許され、存続の危機を回避したのです。 戊辰戦争が始まると、西郷は東征大総督府下参謀に任じられ、新政府軍の事実上の総大将として江戸へ進軍します。3月15日が江戸総攻撃の日と定められていましたが、静岡ま