紀元前二世紀頃、現在の房総半島付近を治め、漢に朝貢していた豪族、訃那馬氏により制定されたとされている。(漢書山海誌) 後に訃那馬氏は大和朝廷により滅ぼされたため一部の条文を除けばその内容は現存しないが、争いを諫め、道徳的規範を定める内容は後の十七条の憲法などに大きな影響を与えたとする説もある。 現存すれば日本最古の法律であり、ハンムラビ法典や十二表法に次いで世界で最も古い法律の一つということになる。 なお船橋という地名は鎌倉時代以降に訃那馬氏にちなんでつけられた当て字であり、そのためこの法典を船橋法典ではなく訃那馬氏法典と呼ぶのが適切ではないかとする意見もある。 (民明書房 2007)