何かを見たり聞いたりした時、その対象を瞬時に自分と切り離して、自分は絶対正義の側、すなわち言いっ放しでも許される、決して叩かれない安全圏に位置した上で、糾弾したり全否定したりするのは実に簡単で、そしてすごく気持ちがいいことだ。何しろ自分は絶対的に正しく、叩かれる方は議論の余地もなく絶対的に悪いのだから。だが、そんなことを繰り返していても自分の周囲の状況をよくすることには何ら貢献せず、自分が訳知り顔の、世を拗ねた老人になるだけで、どこにも明るい未来が訪れないのではないだろうか。 あらゆる問題は、それを「問題だ」と認識しつつ「あれは○○*1が悪い。だからどうにもならない。以上」と断じ、結局何もしない理由を積み重ねるだけの自分にも責任の一端があるのではないだろうか。自分とは関係ないことと言い、切り捨ててしまう姿勢そのものに何ひとつ問題はないのだろうか。 と、そのような前提に立ってみて、ひとつ強引