東浩紀が自らの立場を「ゆうゆ原理主義」と称しているが、それについて述べておきたい。 その前に、というかこれが本題に直結するのだが、私は「ゆうゆ原理主義」という言葉を使ったことはない。それは当然のことであって「ゆうゆ原理主義」というのは原理的にあり得ないからだ。なぜか? その理由は、ゆうゆ自身が原理主義者であったからに他ならない。 原理主義?何に対して?言わずもがな松田聖子に対してである。 松田聖子に対する原理主義的な信仰こそがゆうゆ問題、そして今に繋がる日本の80年代問題の本質に他ならないのだが、これは実は特定の世代の問題ではなくある普遍性を持ったものである。以下にその詳細を説明しよう。 松田聖子が何者であるか?という問いについては当時から早い時期に答えは出ていた。それは一言でいえば「ブリッコ」ということになるのだが、これをたんに当時の流行語として片づけてはいけない。というのも「ブリッコ」