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ブックマーク / sutarin.hateblo.jp (2)

  • 素直になれないオタクたち - このページを読む者に永遠の呪いあれ

    オタクのことを少しでも知っている人なら、既にご承知のことだろうが、女性向メジャージャンルは、80年代から少年漫画だった。 この手合いの描き手、つーか腐女子は週に何度も少年漫画に触れているはずだし、コミックスも相当数持っているだろうし、人に問えば「少年漫画好きなんでぇー」と答えたりして、まさにこれぞ腐女子ステイタス。 しかし、だ。 不思議なことに、彼女達に漫画を描かせると驚くほど少女漫画のコード・様式に則っている。 この手合いの同人作家が少女漫画や女性向でプロになることはあっても、少年漫画家や青年漫画家になることは極めて少ないと思われる。 しかし(正体は)腐女子作家がエロ漫画誌に描いている人も多い。 何故ならエロ漫画は、少女漫画、少年漫画、青年漫画、またはレディース漫画といったごった煮「ちゃんぽん」ジャンルなので、ジャンクとしてとらえられる。 だから、描き手がコード・様式の規制に縛られるこ

    素直になれないオタクたち - このページを読む者に永遠の呪いあれ
    laiso
    laiso 2006/07/01
  • 押井守の都市へのフェティシズム - このページを読む者に永遠の呪いあれ

    押井守や大島渚は世間的に「鬼才」という異名で呼ばれることが多い。しかし、彼らのどの部分がどう「鬼才」であり、何を根拠に「鬼才」と呼ぶのか。 わが道を行く制作姿勢はたたえるべきだし、作品それ自体の独自性、独創性は抜きん出てるしすごいことは分かる。すごいことは分かるが、その魅力の根源が作品のどこに秘められているのか、それを語ろうとしたとき上手い言葉が出てこない。 であるから、その語りにくさも含めてひとくくりに「鬼才」という言葉で片付けられてきた作家でもある。 さて鬼才の代表選手・押井守である。 最初にここで採用する評論スタイルを書いておく。今はひよって見る影もない蓮實重彦だが、自分は彼にものすごく影響を受けている。特に彼の映画批評や文芸批評にはものすごく感化された。 そして、彼ら=鬼才と呼ばれる作家を解体する時に、蓮見の表層批評はとても役に立つ。今では表層批評は一世代前の古い批評のように思われ

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    laiso
    laiso 2006/06/20
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