ブックマーク / tsukikana.hatenablog.com (5)

  • 夏嫌いを克服できるかな?―ビー玉とか「はな恋」とか - 一筋の光、降り注ぐ光。

    立秋を過ぎ、暦の上では秋になったが、危険レベルの猛暑はまだしばらく続きそうだ。 何もしなくても、暑いというだけで夏は疲れる。特に後半は疲労がたまってきているので、意識して心身をいたわりたいもの。昨年に続きコロナ禍の中で迎えている今年の夏は、なおさらだ。マスク、息苦しいね。 夏、という言葉は好きなんだけど、実際は夏が嫌いな私。 汗かくのイヤ、虫多いのイヤ、日焼けイヤだし日焼け止め塗るのもイヤ。 豪雨とか台風とか熱中症とか、心配事がいっぱい。 寝つきは悪いし、欲はなくなるし、頭はぼーっとするし、体はだるいし・・・ いつからかな、当にこの季節が苦手になってしまった。 でも、あんまり「嫌い嫌い」言ってても、毎年逃げられないわけだし、嫌ってばかりいるのもつまらない。嫌うって、なんだか負のエネルギー使ってメンタルに悪そうだから、できるだけその感情を遠ざけたいという思いもある。 それで私、今年は夏の

    夏嫌いを克服できるかな?―ビー玉とか「はな恋」とか - 一筋の光、降り注ぐ光。
    lambamirstan
    lambamirstan 2021/08/13
    たしかに、私が子供の頃は、日中どんなに暑くても夜寝る頃には凌ぎやすい日が多かったと記憶しています。今ほど日々エアコンのお世話になっていませんでした。年齢と共に夏の厳しさが身に染みてきます。
  • 動力は「憧れ」だった―桜の季節に思い出すこと - 一筋の光、降り注ぐ光。

    憧れ。 ただそれだけが、前進するエネルギー源だったんだろうと思う。あの頃の私。20歳だった。 4月になり、桜の花びらが舞う中を歩いていると、これまでの人生で経験した、さまざまな節目のシーンを思い出す。私自身の入学・卒業式だったり、娘たちのそれだったり。 そして何故か今年は、20歳の自分を何度も思い出している。社会人になって上京した、小舟のように危なっかしい自分を。 短大を卒業し、私は神戸市に社のあるアパレルの会社に入社した。勤務は東京社だったので、最初は井の頭線の三鷹台駅に近い女子寮に入居することになった。 親元を離れて、初めてひとりで暮らす。東京も住むのは初めてだし、寮も初めて。でも、どこか全能感(万能感)があったのか、あの頃の私は怖いもの知らずで、新しい世界に飛び出せることが嬉しくて仕方なかった。 まだ20歳の娘をひとりで東京になんて、よく出したなあと、父は同僚から散々言われたそう

    動力は「憧れ」だった―桜の季節に思い出すこと - 一筋の光、降り注ぐ光。
    lambamirstan
    lambamirstan 2021/04/03
    良い時も悪い時も、桜の花を見ると心が穏やかになります。今の季節が一番好きです。
  • 米寿の父に家事を教える - 一筋の光、降り注ぐ光。

    秋分の日、敬老の日、そして父の誕生日はとても近いなあと、毎年、思う。今年は母が他界し、結婚してから初めてのいない誕生日を迎える父。清水の実家でひとりで過ごすのはあんまりだと思ったので、お祝いに行ってきた。一緒にワインでも飲もうかな、と。 米寿となるので、来ならもっと華々しく祝福してもいいところだが、喪中だしコロナ禍だし。で、優しく静かに過ごそうと思ったのだ。 孫娘たち(私の次女と弟の長女が一緒に。そして、私の長女が3人のこどもたちと一緒に)から私のスマホに、父宛の動画メッセージが届き、それを見た父はこの上なく嬉しそうだった。 滞在中に彼岸入りともなったのだが、母はまだお墓もないし、小さな仏壇にお線香をあげて、お花とおはぎをお供えしただけ。それでも少し気が済んだのか、父は満足そうな顔をしていた。 ただ、実はこの滞在には別のミッションがあり、そのために私は行く前からどんより気が重かった。父

    米寿の父に家事を教える - 一筋の光、降り注ぐ光。
    lambamirstan
    lambamirstan 2020/09/24
    ご高齢にも拘らず、家事にチャレンジするお父様を応援したくなりました。炊事や洗濯を一から学ぶのは大変だと思います。
  • 実家の片付けは難しい―断捨離は急がずに - 一筋の光、降り注ぐ光。

    母が亡くなり、清水の実家には父ひとりになった。威張りん坊だった父がものすごくしょげかえってしまい、見ていられない。父には反発することが多く、度々反抗的な態度をとってきた私だったが、最近は当に父に優しくしている。可哀相すぎて・・・ 区役所や年金事務所に出向いての各種手続き(当にやることが多い!高齢化社会ではもっと簡素化すべき!)をサポートしたり、新盆(清水は7月盆)の来客対応などを手伝ったり、家の火災保険の新規契約に立ち会ったり。7月に入ってからも、清水通いは続いている。年を取り、事務処理能力にすっかり自信を失っている父を励ますのも、私の大きな仕事のひとつだ。 当は、母の遺品の整理もそろそろ始めたい。それ以前に、実家に大量に溜めこまれている不要なガラクタたちを、少しでも処分したい。いつも、そう思って清水に行くのに、全然手を付けられずに帰って来る。父が抵抗するからだ。 「片付けなきゃいか

    実家の片付けは難しい―断捨離は急がずに - 一筋の光、降り注ぐ光。
    lambamirstan
    lambamirstan 2020/07/29
    お父様のお気持ち分かります。伴侶を失ってしまった現実を受け止められるようになるにはもうしばらく時間が必要なのではないかと思います。
  • 50'sの恋人たち―母の青春時代 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    私の知っている母は、当然ながら私がもの心ついてからの人物で、それ以前は未知の人だ。若き日の母は、古いアルバムの中でしか知らず、それは子どもの私にとってすでにセピア色だった。 少女の頃、私は、母によく若い頃の話をしてほしいとねだった。どんな女の子だったの? 中学・高校時代はソフトボールの選手で、セカンドを守っていたこと。高校卒業後は、幼稚園の先生をしていたこと。洋裁学校に通い、服を作っていたこと。フォークダンスや社交ダンスが得意だったこと。 父とはそのダンスを通じて高校生のときに知り合い、長くグループ交際をしていたのだとか。父との馴れ初めを話すときの母の表情を、今も思い出す。少し照れたような、でもちょっと誇らしいような。 私が高1くらいだっただろうか。ファッション雑誌で1950年代の特集を読み、母の青春時代の服装がとても素敵だと思った。 ウエストを絞ったサーキュラースカート。オードリー・ヘプ

    50'sの恋人たち―母の青春時代 - 一筋の光、降り注ぐ光。
    lambamirstan
    lambamirstan 2020/06/12
    愛する人に死により添えないことほど悔しいことはありませんね。私も父の死に目に会えなかったので、お父様はじめご家族のお気持ちが痛いほど分かります。お母様のご冥福をお祈りいたします。
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