2020年9月24日のブックマーク (4件)

  • 九州新幹線 長崎ルート 長崎ー武雄温泉 2022年秋に開業へ | NHKニュース

    国土交通省は、現在、建設が進められている九州新幹線長崎ルートのうち、長崎と佐賀県の武雄温泉の区間を、再来年の秋に開業する方針を明らかにしました。 九州新幹線の長崎ルートは、福岡県の博多と長崎の間を、佐賀県を経由して結ぶ143キロの区間です。 国土交通省は、このうち8年前に着工した長崎と佐賀県の武雄温泉の区間を、これまで「2022年度の開業を目指す」としていました。 これについて国土交通省は、24日に開かれた与党のプロジェクトチームの会合で「2022年の秋」に開業すると、より具体的な方針を明らかにしました。 一方、長崎ルートのうち、佐賀県内の武雄温泉と新鳥栖の区間については、国土交通省が、整備方式を決めるのに必要な環境影響評価を行うことを提案していますが、佐賀県は、地元の財政負担が増えるため「フル規格」での整備に一貫して反対しています。 こうした状況を踏まえ、国土交通省は来年度予算案の概算要

    九州新幹線 長崎ルート 長崎ー武雄温泉 2022年秋に開業へ | NHKニュース
    laranjeiras
    laranjeiras 2020/09/24
    博多→佐賀→武雄→長崎を東京起点にすると東京→藤沢→小田原→富士に相当。静岡まで新幹線通して東海道線を3セクにする計画に神奈川県が金を出すのかという話。金は出さん、東海道線残せと言うのが普通。
  • 父はなぜ、息子の棺を蹴ったのか…「加害者」取り違えた警察の捜査ミスと30年間消えぬ飲酒事故遺族の遺恨(柳原三佳) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    「人は、『時が経てば……』と言いますが、理不尽な事故で家族を奪われた遺族にその言葉は当てはまりません。私たちの、息子を思う気持ちと悲しみ、そして遺恨は、何年経っても全く減退などしないのです」 そう語るのは、三重県に住む椋樹立芳(むくじゅりゅうほう)さん、85歳です。 取材をきっかけに椋樹さんと出会ってから、ふと気づけば30年近い歳月が流れました。 私自身、亡くなった息子の裕之さん(当時26)と同い年ということもあったのでしょう。事故からの時の流れを、自分の人生に重ね合わせることがたびたびありました。 今年8月末、久しぶりに椋樹さんにお会いし、ゆっくりお話をする機会に恵まれました。 令和2年「秋の交通安全運動」が始まった今、二度とこのような悲惨な出来事が起こらないように、という思いを込めて、椋樹さんのお話を紹介したいと思います。 30年前、息子を飲酒事故で奪われた椋樹さん。事故の経緯と膨大な

    父はなぜ、息子の棺を蹴ったのか…「加害者」取り違えた警察の捜査ミスと30年間消えぬ飲酒事故遺族の遺恨(柳原三佳) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    laranjeiras
    laranjeiras 2020/09/24
    たったこれだけの記事で「正義」のために活動しない弁護士は懲戒せよ!って、余命三年読んで「悪」の弁護士を懲戒請求した人たちと同じだな。
  • 安倍政権が残したもの:私たちが大事「彼ら」は攻撃 オウム真理教報じた江川紹子さんが読む「カルト化社会」 | 毎日新聞

    「安倍政権だけが原因でなく、社会が安倍政権を生み出した。熟考、自省、寛容が失われ、社会が“カルト化”した」。ジャーナリストの江川紹子さんはこう指摘する。首相官邸の記者会見に出席し続け、安倍政権下での社会の移り変わりを冷徹な視点で見続けてきた江川さんに、7年8カ月の総括と残された課題を聞いた。【上東麻子/統合デジタル取材センター】 社会から「熟考」がなくなった ――安倍政権の時代に何が変わったのでしょうか? ◆まず、社会から「熟考」がなくなったと感じています。反対する人の意見を聞きつつ、考えを練り直すことが少なくなりました。政治の場合、最終的には多数決でも、よく話し合い、より多くの人が納得することを目指すのが民主主義のプロセスです。しかし、手間や柔軟性が必要とされる、そういうプロセスを厭(いと)い、違う考えは受け入れないという非寛容な雰囲気が広がっています。これは安倍政権側だけではなく、それ

    安倍政権が残したもの:私たちが大事「彼ら」は攻撃 オウム真理教報じた江川紹子さんが読む「カルト化社会」 | 毎日新聞
    laranjeiras
    laranjeiras 2020/09/24
    「情けは人のためならず」の解釈が移り変わってきてるんだろうな。
  • なぜ我々は頑なにforを避けるのか - Qiita

    動機 前回の記事を投稿したことを某SNSで通知したところ、そのSNSでこんなコメントをいただいた。転記する許可を取ったわけでは無いので私なりに要約させていただくと、 なぜそんなトリッキーな書き方をしてまでforを使うのを避けるのか そんな書き方をして可読性を下げるくらいなら素直にforを使う方が良い ということだと理解している。 なるほど、一理ありそうだ。しかし一方で、前回貼ったStackOverflowのQ&Aはなかなかの人気記事(質問に1243ポイント、回答に最大で1559ポイント)なので「多少トリッキーなことをしてでもforを書きたくない!!」という意見をもつプログラマも一定以上いるのだろう。当然私もその1人だ。 ということで、この記事で「なぜそこまで意固地になってまでforを書きたくないのか」を説明することにする。 尚、今回は前回の記事つながりで言語はJavaScriptを使うが、

    なぜ我々は頑なにforを避けるのか - Qiita
    laranjeiras
    laranjeiras 2020/09/24
    for や while で全数まわすときは「全部まわってるかな?無限ループしてないかな?」という注意事項が一個増えるのは事実。foreachだとそれがないので脳の負荷が減る。