ブックマーク / www.tapthepop.net (3)

  • 井上陽水27歳〜日本の音楽史上かつてなかった“画期的”なレコード会社、フォーライフの誕生経緯〜

    Home TAP the STORY 井上陽水27歳〜日音楽史上かつてなかった“画期的”なレコード会社、フォーライフの誕生経緯〜 - TAP the POP 「人からとやかく言われてやっている仕事や生き方ってのは僕にはちょっと…。やっぱり自分との闘いみたいなものでやった仕事に価値があると思いますねぇ。」 <1975年6月12日号『GORO』インタビュー記事より> 1975年6月1日、井上陽水は吉田拓郎・小室等・泉谷しげると共にフォーライフレコードを設立する。 それは彼が27歳を迎えた年の出来事だった。 その年の秋に、彼は「青空、ひとりきり」という歌をリリースした。 そのレコード会社の誕生は、日音楽史上において初とも言える“画期的”な出来事だった。 従来の体制では「契約される」立場だったアーティストが、主導権を持って「契約する」側となる。 それは、つまり“アーティストが経営する会社”

    井上陽水27歳〜日本の音楽史上かつてなかった“画期的”なレコード会社、フォーライフの誕生経緯〜
    lavenderjun
    lavenderjun 2016/09/25
    吉田拓郎さんと、小室等さん、泉谷しげるさんが、井上陽水さんと、レコード会社を作ったという経緯が、面白かった。Twitterでkeiさんがつぶやいていて、読みました。 #フォーライフ #吉田拓郎
  • シンプルゆえに生命力の長い歌、吉田拓郎「今日までそして明日から」

    1970年11月に吉田拓郎が発表した1stアルバム『青春の詩』に収録されていた「今日までそして明日から」は、シンプルであるがゆえに生命力の長い歌だ。 1971年7月21日にインディーズのエレックから出たシングル盤は、話題作としてプロモーションされたが大きなヒットにはならなかった。 ただラジオの深夜放送では、若者たちから高い支持を受けていた。 メジャーのCBSソニーに移籍して「結婚しようよ」が大ヒット、吉田拓郎の人気が沸騰したのは1972年のことだった。 続いて7月に発売された「旅の宿」は、ヒットチャートの1位に輝いた。 そんな時期に「今日までそして明日から」は、映画『旅の重さ』の劇中歌に使われることになった。 これがデビューとなった新人女優の高橋洋子が主演する『旅の重さ』は10月28日の公開で、「旅の宿」がヒット中という最高のタイミングだった。 スチール・カメラマン出身で映像美に定評がある

    シンプルゆえに生命力の長い歌、吉田拓郎「今日までそして明日から」
    lavenderjun
    lavenderjun 2016/04/07
    中学二年生だった、私はラジオで、拓郎さんの深夜放送を聞いた。その頃福生に住んでいたが、神田共立講堂などのコンサートへ行った。ギターを買い、コピーして弾いた。吉田拓郎さんのファンで、幸せだ。
  • 「人間なんて」をマイク無しで歌って伝説になった吉田拓郎~第3回全日本フォークジャンボリー

    フォーク歌手と言われた吉田拓郎だが、実は彼の音楽の大根(おおね)のところにあったのは、黒人音楽のリズム・アンド・ブルースだ。 高校時代から広島フォーク村で一緒の音楽仲間で、プロになってからはマネージャーを務めた伊藤明夫によれば、アマチュア時代からリズム・アンド・ブルースを歌わせたら敵うものなど誰もいなかったという。 代表曲の「襟裳岬」や「おきざりにした悲しみは」、「旅の宿」、「花嫁になる君に」、「ビートルズが教えてくれた」、「祭りのあと」、「落陽」などを作詞したソングライティングのパートナー、岡おさみとの対談で、吉田拓郎がリズム・アンド・ブルースについてこんなふうに語っている。 ぼくはものすごくリズム&ブルースが好きなわけ。R&B。 黒ん坊のそれがなぜ好きかって言うと、たとえば、 「朝起きるとベッドの周りにブルースが歩いてた。 パンべようと思って割ったらパンの中にブルースがつまってた」

    「人間なんて」をマイク無しで歌って伝説になった吉田拓郎~第3回全日本フォークジャンボリー
    lavenderjun
    lavenderjun 2016/04/07
    吉田拓郎さん2016年4月5日で、70歳になりました。お誕生日をお祝いして、Twitterでは、盛り上がっています。ラジオでも、特集を組んだりしています。
  • 1