仕事としてプロ野球を選択しなかったサウスポー プロ入りを熱望されながら、大学卒業と共に野球から離れた志村 往年の野球ファンならば、志村亮というピッチャーの名前を覚えているだろう。 桐蔭学園(神奈川)時代、2年春の1983年センバツで甲子園初登板。3年夏には激戦の神奈川大会を制して甲子園で2勝を挙げた。その後は慶應大学へ進学、すぐに神宮デビューを果たし、開幕カード第2戦に初先発して56年ぶりとなる新人の開幕カード完封勝利を記録した。 さらに4年春と秋のリーグ戦では、5試合連続完封、53イニング連続無失点記録も樹立している。4年間で31勝、防御率1.82という成績を残したクレバーなサウスポーは、当然のようにプロ入りを期待されたが、その道を選ぶことはなかった。 志村が東京六大学リーグでプレーしていた1980年代後半、各大学にはのちにプロ野球で活躍する選手がたくさんいた。しかし1988年は、即戦力
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