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イグナチオの「霊操」をみていると、やはり修行のいちばんの敵は性欲だということがわかる。はっきりそう書いてあるわけではないが、行間を読めばそう解釈せざるをえないような局面にしばしば出くわすからだ。同じことは仏教の修行にもあてはまるだろう。古来、坊主たちがいかにこの始末におえない衝動にふりまわされたかは、たとえば「羅切」などという言葉があることによっても知ることができる。 さて、この羅切のもとになった摩羅(あるいは魔羅)という言葉だが、辞書をひくとたいてい僧侶の隠語ということになっている。手元にある岩波国語辞典(第四版)をみても、「①〔仏〕仏道修行の障害になるもの。▽梵語。②〔俗〕陰茎。▽もと僧侶の隠語」とある。ほかの辞書でもたいていそうなっているのではないか。 しかるに、この説にまっこうから反対意見を述べているのが南方熊楠だ。昭和10年に書かれた「摩羅考に就て」では、いろんな文献をあげながら
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