『中央公論』2月号を読んでいたら、「時評2012」欄に「日本はギリシャと違うのか」と題して大竹文雄さんが、Anton Braun and Tomoyuki Nakajima(中嶋智之氏)の最近の研究を参照する形で、財政破綻の可能性が予想されていても、そのことが国債価格に織り込まれない可能性について指摘していた。 私も、同様の可能性について以前から気にかかっており、こういうことではないかという私なりの考えを、きわめて雑ぱくな形であるが昔書いたことがある(『銀行はなぜ変われないのか』2003年、pp.232-4)。国債価格が情報効率的であるかどうかは、ますます今日的な意味をもった問題になってきていると思われるので、参考までに私のかつての記述を紹介しておきたい。 [デフレは円バブルか]・・・しかしながら、一つ大きな疑問が残らざるを得ない。それは、この財政破綻の可能性を国債相場はどうして織り込もう